笹山登生のウォッチ&アナライズ –


2010年1月4日

インセンティブなき民主党政権の成長戦略

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 5:48 PM

うーん。

これですよね。

市場はどう受け止めるんでしょうかね。(立会い時間中の発表であったにもかかわらず、日経平均は反応せず。)

この成長戦略の基本方針要旨をみますと、

これら項目すべて、結果の荷姿ですよね。

ストーリーがない。

この荷姿に至るインセンティブについては、皆目かたられていないんですよ。

馬が水を飲んだ後の姿しか書いてなくて、どうやって、馬を水辺に連れて行くか、どうやって、馬に水を飲ませるのか、についての、戦略はまるきし書いていないんですわ。

需要創造という言葉は、文中に踊れども、その創造のための戦略については、まったく触れていないのである。

馬を水辺に連れて行くニンジンの中身を示さないで、何が戦略ですか。

政治のリーダーシップにより「新需要創造」「需要からの成長」を目指し、「環境・エネルギー」「健康(医療・介護)」「アジア」「観光・地域活性化」の4分野で、国民生活向上に主眼をおいた需要や雇用の創出をはかる
とはいわれているんですが。

ディマンド・プッシュ(demand-push)型の成長のお題目を唱えるのであれば、そこにいたるインセンティブのストーリーを示さなければならないのに、そのストーリーを示せ得ないでいる。

どうもこの政権は、「内需」というキーワードを狭義に捉えすぎているような感じがしていますね。

一口に「内需」といっても、①生活必需品、②最終消費財、③中間財、④インフラ耐久消費財 これらそれぞれに対する内需があるわけでして、その最終消費先の帰属が、日本か海外かによって、内需か外需かの仕切りができているということでしょう。

ですから、外需振興と内需振興とを、画然と分けて考えること自体がナンセンスのようにも思えますね。

ところが、どうも、民主党政権は、このうちの、生活必需品、最終消費財にのみ目が行ってしまって、直接型支払いをすれば、内需がついてくる、との短絡的な考えをもっていらっしゃるようにも、見受けられますね。

ごくマクロ的に考えれば、内需振興を標榜するのであれば、
①デフレ対策
②円高対策
③新しい形の公共事業によるビッグプッシュ対策、
④地域への細かいSME換金回路の構築、
この四つに絞られうると思うんですけど。

なぜなら、
①いくら、直接型支払いによって、末端消費者の購買力を高めようと思っても、そこには、すでに「デフレの罠」が存在しているので、その罠に、購買力は、吸われてしまうということ。
②いかに、内需振興といっても、クローズドシステムでの内需振興はありえないわけで、当然、円高対策を含めた、従来どおりの輸出振興策を伴わなければ、波及効果のある中間財に対する内需は生まれ得ないということ、
③インフラ耐久消費財に対する新しい形の公共事業での内需振興対策を、新しい視点から考えなおさなければならないこと
④バラ撒きが単なるバラ撒きに終わらないためには、バラまきからの卒業回路が必要ということですよね。これは、マイクロ・クレジットの考えに似たもので、地域に細かいSME(Small and medium enterprises)の回路を作っていく

ということですよね。

このそれぞれに、インセンティブを引っ付けていけば、成長戦略の骨格はできると思うんですけど。

このようなマクロの整理から見てみると、果たして、この民主党政権の新成長戦略は、答えているかと言えば、何も答えていないということになるんじゃないでしょうかね。

やはり、これをみると、経済オンチがそろった内閣という世間のそしりは、まぬがれえないようですね。

まあ、菅さんは、「やっつけ仕事でホッチキスでとめるのはいやだ。」というのですが、この要旨を見ると、とめうるホッチキスの針自体も、かなり危ういんでは、などと、心配になってきますね。

この新成長戦略には「輝きのある日本へ」という副題がついていますが、これでは、「輝きのある日本」ではなくて、「つぶやきのある日本」、「ポヤキのある日本」になってしまいますよ。

最後に、このサイト『A Tale of Two Theories: Supply Side and Demand Side Economics 』の紹介をしときましょう。

サプライ・サイドに立った経済政策も、デマンド・サイドに立った経済政策も、ともに、限界がある、というお話ですね。

参考 その他のサプライ・サイドとデマンド・サイドの経済政策に関するサイト

Demand-Side versus Supply-Side Theories of Trade Policy: An Empirical Test」

Demand-Side or Supply-Side – Tax as a Policy Tool

Link between demand-side and supply-side sources of inflation

Resurrecting Fisher and the demand for supply-side economics

The Supply-side and Demand-side Effects of Government Size and Investment

Macroeconomics – Cyclical fluctuations – demand and supply-side shocks

Demand Side Supply side Infrastructure

Supply Side Vs. Demand Side

Re: Supply side VS Demand side

ニューヨークタイムズ紙の「日本の失われた10年を避けるために」との年頭論説

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 5:46 PM

ニューヨークタイムズ紙の昨日の年頭論説(社説)に「日本の失われた10年を避けるために」(「Avoiding a Japanese Decade 」とのコラムが載っています。

内容(全訳)は下記のとおりです。

ありがたいことに、2009年は、年初よりもいくらかよく終わった。

エコノミストは、アメリカ経済回復定着の兆しが見えたと、話している。

消費者信頼指数は改善した。

株式市場は、上昇した。

しかし、すべての成長においては、アメリカ経済は、非常に脆弱のままにある。

これらの経済的リスクを考える上で、日本の1990年代における経験を考慮することには、意義がある。

不動産バブルは、金融危機の火付け役となり、続く10年にわたる景気停滞へと連なる。

日本政府は、必要なことをなすべき決断に欠けていた。

日本政府は、金融機能の正常化に失敗し、景気回復が定着する前に、初期の財政政策出動による景気刺激策を、やめてしまった。

それによって、日本経済は、アジア通貨危機や2001年のインターネットバブル経済の崩壊を含む、、外部からのショックに弱いものとなった。

日本の年間成長率は、1973年当時は平均4パーセントあったものが、1992年から2003年にかけては、平均1パーセント以下に落ち込んだ。

オバマ政権の経済アドバイザーは、日本の経験について学んできた。

しかし、十分には学んでおらず、ましてや、アメリカ議会は、そのことに関心すら抱いていない。

もし、彼らがそのことに注意を払わなければ、結局は、日本経済をして失われた10年にせしめたような、大きな誤りを繰り返すことに終わるだろう。

アメリカ経済回復の兆しは、ようやく、土の中から芽を出したばかりのようなものなのに、すでに、アメリカ議会では、共和党や保守的な民主党の議員のなかには、オバマ政権に対して、赤字予算を切り詰めるための何かをしなければならないとの要求を突きつけている。

われわれが憂慮しているのは、政治的な「声高な要求」に対しては、抵抗しがたいものがあるということである。

日本政府は、1997年に、3年間の中途半端な経済成長のあと、財政刺激策をストップしてしまった。

日本政府は、消費税を上げ、一時的な所得税減税を終了してしまい、社会保険料の値上げをしたが、その結果、日本経済の回復を、つぼみのうちに、摘み取ってしまった。

日本が犯したもうひとつの失敗は、銀行の正常化をしようとしなかったことだ。

金融監督機関は、銀行や債務会社に対して、数兆円もの不良債権があることを認識させようとしなかった。

日本の銀行は、ゾンビのごとく、合併を繰り返し、転がっていき、支払い不能の会社を立ち上がらせるためだけの無駄な信用を与え続けてきた。

アジア通貨危機がおそったとき、多くの過小資本の銀行は、倒産した。

オバマ政権は、銀行に対して、これまで、非常に寛大であるとはいえなかったが、しかし、それでも、十分に積極的であったとはいえない。

銀行の破壊的なリスク・テイクを抑制することを意図した規制改革について、議会での進捗状況は、ゆっくりしたものとなっている。

アメリカ財務省は、銀行に対して、資本増強を強制しているにもかかわらず、いくつかの大手金融機関を含む多くの銀行の自己資本は、依然、薄く弱いままとなっている。

銀行は、不良債権の処理や損切りに対して、気が進まない。

銀行は、リスキーな商業ローンや、モーゲージローンや消費者ローンを、一杯詰め込んだままにある。

一方、銀行経営者は、納税者の寛容と忍耐から、気前よく公的支援を得た後も、巨額なボーナスを自分で自分に支払うことに固執していることで、事態をより悪くしている。

ここには、二つの大きな問題がある。

銀行経営者のリスク・テイク好きの性向は、少しも、抑制されていないということ。

そして、アメリカの大衆は、まったく、うんざりしている、ということである。

このことが何を意味しているかといえば、たとえば、FEDが低金利の資金提供を引き上げるようなことで、もし、他の金融機関の危機があったとしても、如何に必要であったとしても、議会に他の救済措置を認めさせることが、非常に難しくなる、ということである。

それでも、オバマ政権は、これまでのところは、日本政府がかつて、金融危機でおこなったことよりも、危機対処においては、かなりよくやっている。

2009年と同じように陰鬱ではあるのだが、財政面での景気刺激策なくして、また、FEDからの膨大な通貨供給なくして、起こりうることと比較すれば、そのこと自体は、たいしたことではない。

ホワイトハウスは、いま、来年のための他の小型の景気刺激策を進めようとしている。

さらに改革を進め、経済を押し上げるところにチャンスはある。

もし、日本の失われた十年に重要な教訓を見出すとすれば、中止半端なその場しのぎの策は不要だということだ。

以上、翻訳終わり