笹山登生のウォッチ&アナライズ –


2009年12月30日

負の所得税と直接支払いと所得再配分機能との関係は?

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 5:52 PM

基本的な考え方が整理されないままに、民主党新政権では、選挙目当ての直接型支払いのスキームが横行しているようだが、ここいらで、負の所得税(”negative income tax”)と直接支払い( “direct payment”)と所得再配分(”income redistributing”)との考えについて、整理してみる必要があるのではなかろうか?

篠原孝さんの今日のブログ「フランスの少子化対策の解決の手法」なんかを見て、そう感じた。

本来、所得税による所得再配分(”income redistributing”)機能が限界に達した場合、初めて、負の所得税(”negative income tax”)と直接支払い( “direct payment”)のスキームが登場するはずなのだが、その臨界点-限界税率(Marginal Tax rate)がゼロの状態-にまで達しない段階での直接支払いによる負の所得税的なスキームが横行すると、歪曲された所得再配分機能のスキームとなってしまうのだが。

フリードマンが志向した負の所得税とは、累進課税をフラットにする代わりに、正の所得税と負の所得税とによって、浮きの水準(フローティング)が調整でき、課税水準のシンプル化によって、徴税コストを最小限にする、ということなのだが。

累進税率を残したままでの給付付き税額控除は、=負の所得税とはいえないのである。

現在の日本の状況では、累進課税構造と負の所得税的な直接支払い的補助金のオンパレードとなってしまうと、徴税コストはそのままにして、さらに、直接支払い的なトランザクションコストが高い歳出構造となってしまう。

これによって、国民からの貴重な歳入が、途中段階で、事務費支払いなどの膨大な事務コストによって、リーケージの多いものになってしまい、従って、歳出効果も限定的なものとなってしまうおそれがある。

ちなみに、こんなケースを考えてみるとよくわかるだろう。

「生活保護を受けていて、子供手当てをもらっていて、農業者戸別所得補償を受けていて、しかも、失業中なので、失業手当ももらっている」なんて、措置三冠王的ケースだ。

本来は、これらの措置的な支払いは、負の所得税一本あれば、これですむものが、各種に分岐した直接支払いの受け取りによって、国家財政的には、きわめてロスの多いものとなってしまうのではなかろうか。

この場合、欧米でのドネーション(Donation)の機能が、これらのトライアングルの間の緩衝バッファーセクターになりうるはずなのだが、日本には、それがない。

以下、次のトライアングルで、正月休みの間、ちょっと、考えてみたい。

皆さんもどうぞ。

「”negative income tax”  と ”income redistributing”」

「”negative income tax” と “direct payment” 」

「”income redistributing”と”direct payment”」

天国の阿波根さんの怒りを買うであろう普天間の伊江島移設論

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 5:50 PM

民主党の小沢一郎幹事長が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の新たな移設先について、沖縄県内の離島(同県内の米軍伊江島補助飛行場(伊江村)、下地島空港(宮古島市))を軸に検討する考えを与党関係者に伝えていたことが12月29日、分かったというのですが、沖縄の反戦の歴史を知ったものであれば、このようなことは、とても、けっして軽々しくはいえないでしょうね。

なぜなら、伊江島は、沖縄のガンジーともいわれる、今は亡き阿波根 昌鴻(あはごん しょうこう )さんの原点の島であり、この阿波根さんの精神を受け継いで、現在の辺野古の反対運動の原点があるからです。

辺野古テント村には、原点の戒めのために阿波根さんの写真が掲げられていると聞いています。

つまり、辺野古と伊江島は、阿波根さんの精神を基盤にして、両者つながっているのです。

それをご存じなくて、このようなうかつな言葉を吐かれるのは、辺野古の反対運動者にとっても、迷惑な話ですね。

阿波根さんが、このニュースを知られたら、天国から怒り狂われるでしょうね。

伊江島は、沖縄への占領軍が、3月に座間味島と渡嘉敷島を制覇してから、4月16日に攻め込んだ島です。

座間味島・渡嘉敷島に劣らない、すさまじい激戦が島内で繰り広げられ、アメリカ側にも犠牲者が出ました。

その象徴的な存在が、アーニー・パイルという従軍記者の戦死で、伊江島の中には、周囲の光景にそぐわなくも、日本人にとっては不快にも思われる、立派な記念碑が建てられています。

その一方で、ガマと呼ばれる壕での日本側の犠牲者の厚生労働省による収骨作業は、いまだに終わっていない状況のようです。

阿波根さんは、敗戦後、伊江島の土地の約六割が米軍に強制接収された際、反対運動の先頭に立ちました。

「伊江島土地を守る会」の会長を務め、1955年7月から1956年2月までのあいだ、沖縄本島で非暴力による「乞食行進」を行い、米軍による土地強奪の不当性を訴えました。

これらの経緯については、このサイトに詳しくのっています。

その沖縄の平和運動の聖地ともいえる伊江島に普天間の移設だなんて、沖縄の歴史を知っていない政治家の思いつきの考えにもとづくもの以外の何ものでもないのではないでしょうかね。

本当に、歴史を知らない馬鹿なことを言われるもんです。

数年前(2005年10月21日)にも石原東京都知事が「伊江島なんてのは普天間の割と近くで、滑走路が二本もあってほとんど使っていない」と発言され、現地から猛反発をうけた経緯もあります。

このとき、伊江村長は「伊江島は沖縄戦で焦土と化し、なお基地を背負いながらSACO合意でパラシュート訓練を受け入れた。発言は、伊江島の歴史や痛みを知らず、自分の都合(横田基地の問題)で基地を小さな島に押し付けようというもので迷惑千万」といわれ、また、伊江村議会議長は「村、村議会はこれ以上の負担は受け入れられないと普天間移設反対で一致している。なぜ都知事が伊江島に移設などと無責任に口を挟むのか」といわれていました。
参考「伊江島へ移設“推進” 県内から反発の声 石原都知事

阿波根さんについては、私のサイト記事「もう一面の阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう)さん」もご参照ください。

私が伊江島を訪問した時は、まだ、阿波根さんはご健在で、島にある自宅敷地内に反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」(「命こそ宝」という意味)をたて、若い人たちの共感も得て、平和活動を続けられていました。

阿波根さんの晩年なりご最後は、これらの若い人たちに囲まれてのものであったとも言われています。

このサイト「第5回平和ツアー~伊江島篇~報告」で見るように、現在の辺野古の反対運動者のかたも、しばし、伊江島を訪れて、阿波根精神の再確認をされていたようですね。

つまり、辺野古も、阿波根さんの伊江島も、反戦とジュゴンという同じキーワードでつながっていることを、小沢一郎さんをはじめとした民主党の政治家は、うかつにも知らないのですね。

「空いた空港跡地があるから、ちょうど、いいじゃないか。」というような乱暴な考えで、このような言葉は、おそらく発せられたのだと思います。

nullたしかに、伊江島には、空港の跡地があるのですが、私は、この空港の跡地(旧中飛行場、伊江島補助飛行場)をレンタカーで走ってみましたが、でこぼこで、とても、スピードを上げられる代物ではありませんでした。

また、島の東部に城山(タッチュー、海抜172m)があるので、専門的なことはわからないが、飛行機の進入路は、限られているようなのだが。
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nullなお、もう一方の下地島への移設案についてですが、下地島空港の利用方法については、飛行場設置に当たって1971年(昭和46年)に日本政府(丹羽喬四郎運輸大臣)と当時の屋良朝苗琉球政府行政主席との間に交わされた「屋良覚書」があります。

これについては、「finalventの日記」にくわしくのっています。

内容は下記のとおりです。

下地島飛行場は、琉球政府が所有及び管理を行い、使用方法は管理者である琉球政府(復帰後は沖縄県)が決定する。
日本国運輸省(現・国土交通省)は航空訓練と民間航空以外に使用する目的はなく、これ以外の目的に使用することを琉球政府に命令するいかなる法令上の根拠も持たない。
ただし、緊急時や万が一の事態のときはその限りではない。

この屋良覚書を受け、沖縄県議会では、1979年に「自衛隊機等の軍事利用をさせない」との付帯決議(沖縄県議会土木委員会での付帯決議)が採択されています。

1979年の沖縄県議会における付帯決議派、下記のとおりです。

下地島空港は、民間航空機のパイロット訓練、及び民間航空機に使用させるとし、自衛隊等軍事目的には使用させないこと

この屋良覚書とそれを受けての沖縄県議会での付帯決議の存在こそが、これまで、下地島空港の軍民共用化の足かせになってきたのです。

nullそれと、行って見られればわかりますが、下地島は、独立島ではなく隣の伊良部島とは、水深2m~4m、幅40m~100m、長さ3.5km程の水道域をまたいで、6つの橋でつながっており、事実上,伊良部島と下地島とは一体のものとみなされます。
左記の写真でみれば、飛行場の右側が伊良部島部分で、その間の水溝部分が、下地島と伊良部島とを分ける水道域です。

また、宮古島ともフェリーで行き来(定期連絡船で約15分)できるほどの近接距離にあり、2012年には、伊良部島と宮古島とを結ぶ伊良部大橋(本橋部分3,540m)が完成する予定です。
(行政区は宮古島市、人口 は(伊良部島)約6800人 (下地島)約75人; 周囲 は(伊良部島)約26.6km (下地島)約17.5km; 面積 は(伊良部島)面積 約29.7k㎡ (下地島)約9.5k㎡; )

ですから、基地誘致は、下地島単独での問題とはなりえません。

それと、沖縄本島と異なって、まさに、台風銀座の真っ只中にあり、2003年9月11日の台風14号(風速74m)では、伊良部島に近い宮古島の池間島側の西平安名崎の風力発電の3基の発電所のうち2基は倒壊、1基も羽が飛ばされ支柱のみ残ったというような被害が発生するほどのものです。

私が行ったときは、岬の新しい景観として、これら風力発電の塔の連なりがまぶしく見えていたのですが、程なくして、このようなことになってしまい、後に、琉球大学のコンクリート工学専門の先生にお会いしたのですが、その塔のもろさに、専門家である教授もびっくりされていました。

環境資源的にも、辺野古におとらず、近く(西平安名崎の裏側であり、池間島の先に当たりますが)には、旧暦の3月3日に出現する幻の大陸として有名な八重干瀬があります。

このほか、下地島は、数年前、カジノ構想での地域おこしでゆれたり、自衛隊誘致でもめたり、USENのリゾート計画がでたり、と、いろいろの地域おこし構想に翻弄された島でもあります。

地域おこしをしたいのだが決め手がない、という、弱みを抱えた島であるともいえます。

社民党の福島党首が、これらの移設案に対して、反対はしなかったというのですが、これらの過去の経緯をご存じでいわれているのか、ちょっと疑わしくなってきました。

社民党党首の福島さんが屋良覚書の存在を知らないはずはないでしょうから、それを承知で下地島移設案にはっきり反対の意思表示をしないのは、なぜなのでしょう?

これも参議院選挙までの時間稼ぎでしょうかね。

票稼ぎに使われる沖縄県民が、これでは、かわいそうです。

最後に、阿波根さんの残した歌を記したいとおもいます。

ちなみに、私が以前上記のサイト記事を書いた後に、ある音楽家のかたから、この歌をCDにしたものを送ってきたことがありました。

《花は土に咲く。》

アメリカぬ 花ん 真謝原ぬ 花ん 土頼てぃ 咲ちゃる花ぬ美らさ・・・・

アメリカの花も伊江島の花も土が頼りで咲いている。花の美しさよ。

参考

「「伊江島か下地島に」普天間移設先で小沢氏が与党関係者に意向」

下地幹郎さんの「新嘉手納統合案」

シリーズ「嘉手納統合案の真実」(全4回)第4回「1+1=0.5 新たな新嘉手納統合案」より

普天間飛行場を嘉手納基地に統合して「騒音その他が今以下になる」という考え方は、私がかつて申し上げていた新嘉手納統合案の考え方そのものであります。

現在の嘉手納基地の離発着回数は約7万6千回、普天間基地の離発着回数は約3万回であります。これが、新嘉手納統合案によって、嘉手納基地の離発着回数が10万回に増えたら意味がありません。また、現状と同じ7万回であっても意味がありません。現状の半分、3万回から3万5千回に激減するものでなければならないのです。

そのためには、嘉手納基地所属のF15の2つの戦闘部隊のうち、第44戦闘中隊(24機)を岩国基地や三沢基地、グアムなどへ移動させ、7万回の離発着回数のうち3万回以上ある外来機の訓練を嘉手納以外の地域、例えば伊江補助飛行場や、稼働率が悪い関西国際空港のB滑走路、静岡空港、佐賀空港といったような本土の空港に移すなどすれば、離発着回数の半減、つまり騒音の半減は十分可能であります。

「1+1=2」ではなく、「1+1=1」でもなく、「1+1=0.5」というのが、私の提案する新嘉手納統合案なのです。そして、沖縄がこれから先もずっとこの米軍基地負担を背負うことのないよう、15年という期限を設け、日本政府と沖縄県で覚書を交わす。そのことで、普天間飛行場の危険の除去は、沖縄の美しい自然環境を壊すことなく実現できるのです。

大事なことは、普天間飛行場を嘉手納基地に統合する前に、嘉手納基地周辺の騒音を確実に軽減することであります。現状で「騒音を0.5(半減)にします」といくら言ったところで、周辺住民はじめ、誰しもがすぐには信用しないでしょう。普天間飛行場の嘉手納基地への統合に先行して、F15の移転や外来機の移転が行われ、実質的に騒音が軽減されることを実証する。騒音の半減が信用できるか出来ないか、それを実績で示し、周辺住民が納得するのであれば、嘉手納統合案に賛成すればいいのであります。

参考 昭和54年4月18日の衆議院決算委員会における玉城栄一議員(公明党)の下地島に関する質疑

「第087回国会 決算委員会 第7号」より

○玉城委員 先ほども大臣がおっしゃいましたとおり、この近距離という問題については重要な課題であるというお話がありましたけれども、近距離という常識的な範囲というものは大体わかるわけでありますから、それを明瞭にぜひ公正に御検討をいただきたいと思うわけであります。
そこで、次の問題に移りますが、これは七月一日開港予定になっております沖繩県の下地島パイロット訓練飛行場の問題についてであります
この訓練飛行場はパイロットの訓練を目的に国費約百四十億、沖繩県費約五十四億を投じて今日まで建設が進められ、本年七月ようやく開港の運びとなる予定になっておりますが、開港を間近に控えてさまざまな問題が山積しておるのであります。そこで、この問題についてこの際運輸省の姿勢、またその基本的な考え方、並びに本日はユーザーの代表として日本航空の責任者に御出席をいただいておるわけでありますが、この下地島訓練飛行場の今後の運営のあり方、使用のあり方あるいは今後の計画等について、確認をしながらお尋ねをしてまいりたいと思うわけであります。
そこで、この下地島訓練飛行場は、そもそも昭和四十年の行政管理庁の勧告、すなわち「訓練専用の飛行場の確保に努める必要がある。」と運輸省に勧告したことがきっかけとなり、その後航空審議会の答申、航空会社の要望等もあって運輸省も本腰を入れてその用地を探し、最終的に沖繩の下地島に白羽の矢が当たり、昭和四十六年八月、運輸大臣、総理府総務長官、当時の琉球政府行政主席の三者の合意により、つまり県営、非公共、収益性の三点の合意をもって決定され、昭和四十八年六月十八日の設置告示となったわけであります。ところが、開港が近づくにつれて管理者である沖繩県は管制、無線、気象という業務を独自で行うことの困難性とその他主として財政上の理由から、当初の非公共飛行場から公共飛行場への転換を余儀なくされたのであります。私は、この点についていささか疑問に思う諸点がありますので、以下数点確認をいたしておきたいと思います。
まず第一に、そもそもパイロットの訓練というものは第一義的には民間である航空会社がその負担において行うべきものであり、それがわが国航空政策上どうしても必要不可欠のものであれば国がこれを行うべき性格のものであると私は思います。運輸省の基本的な考え方をお伺いしたいと思います。

○松本(操)政府委員 事業用あるいは定期運送事業用のパイロットの養成訓練というものにつきましては、いま先生がおっしゃいましたように、第一義的にはそれぞれの事業者の責任において行うというのがたてまえであろうかと思います。ただ、航空関係のエンジニア、特にとりわけ操縦士というものは高度の技術、訓練を要することで仏ございますので、その初歩的な段階におきましては、御存じのように航空大学校等におきまして基本的な訓練をするということはきわめて前からやってきておるわけでございますが、すでにある程度の技術を習得した以上の、現にラインのパイロットあるいは事業者のパイロットとして活躍しております人たちの訓練、こういう問題についてはそれぞれの事業者の責任において行うというのがたてまえであろうかと考えております。

○玉城委員 いま局長は、そういう事業者の責任、そして国の責任ということが第一義的に考えられるというお話であります。私もそのとおりだと思うわけです。これを地方自治体がパイロット訓練用の飛行場でそういうパイロット訓練をやるという以前に、やはり第一義的には航空会社であり、国、国策という立場からそこに当然責任の比重はかかってくると思うわけであります。
そこで、このパイロット訓練飛行場は、経過を見ますとそういう実態にはなっておらぬわけであります。特に財政上の問題において、沖繩県にその責任を押しつけ傍観してきたと言っても過言ではないというのが実情ではないかと私は思うわけであります。
そこで、まず一番目の問題は、管制、無線、気象という三大業務に要する費用は、非公共事業であれば国は出さないというのが空港整特別会計法上の一般的な解釈であろうかと思います。したがって、設置者たる沖繩県が独自でこれを行わなければならないということになってくるわけですが、果たしてそう言えるかどうか。
この訓練飛行場に関して、そもそも下地島訓練飛行場は非公共であるにもかかわらず、空港整備特別会計法附則で「当分の間、」特会から補助金を出すことになっており、これは設置に要する費用という範囲はあるものの、その精神は沖繩振興開発と訓練飛行場の設置という国家的政策にかんがみ特会から補助金を出すという法的措置がとられてまいったわけであります。
しかるに、空港整備特会のたてまえを振りかざして、国はもうこれ以上一切の負担はしないとして突っぱねてきたこれまでの運輸省の姿勢は、どうしても納得ができない。この点のお考えを簡単にお聞かせいただきたいと思います。

○松本(操)政府委員 先生おっしゃいますのと私の申し上げる点、多少食い違うかもしれませんけれども、当時の琉球政府から訓練空港についてのお話がございました時点において、先ほど申し上げましたようにパイロットの養成は事業体の責任とは言いながらも、しかし国としても相応の援助を当然すべきでもございますし、さらにはこのプロジェクトが当時の琉球政府の一つの支援にもなるのではないか、こういうふうな考え方もありまして、したがっていまるるおっしゃいましたように空整特会法上に特に附則の十三項を設けまして、その中で空港の建設に関する部分については空整特会の中から金が出せるようにした。これは一つは、およそ空港というものの補助をいたします場合に財源をあちらこちらに置きませんで、一本化して空整特会で行うという考え方に統合したという便宜上の問題もございましょうけれども、しかしその裏には、いま申し上げたような趣旨があったものと理解をしております。
そのようにしてやりました後で、どのようにこの空港を使うのかという点につきましては、当時は管理会社というものをつくってその管理会社が一括して無線施設等についてはめんどうを見るかどうか、あるいは県が直接的におやりになるかどうか、そこら辺の詰めは必ずしも十分にはできていなかった、いまにして考えれば必ずしも十分ではなかったということは言えるかと思いますけれども、スタートの段階ではともかく建設に関する部分について一〇〇%の補助をしていこう、こういう形でスタートする、その方法として空整特会法の附則の十三項というものが設けられた、こういう経緯であったと思うわけでございます。
ですから、これを盾にとって云々ということでは決してございません。スタートのときからそういう形で実はスタートをしておったわけでございまして、その後、実際の運営についての的確なかつ具体的な見通しが多少ぬるい点があったのではないか、われわれの側にもあるいは県の側にも。当時は琉政であったわけですが、その後すぐ県に変わったわけで、県の側にもそういった具体的な実務面についての配慮というものが多少甘い点があったかもしれません。われわれの方にもあっただろうと思います。しかし、それは決して空整法があるからどうだこうだ、こういうことではございません。非公共用という形であります以上、そういうふうな形におのずからならざるを得ない、そういう枠組みの中での議論であったわけでございますので、その中で何らかの打開策はないかということで私どもずいぶん県の方と御相談を申し上げたわけですが、諸般の事情があってなかなかその案が具体化していかなかったという点は、先生御案内のとおりかと思います。

○玉城委員 両方あいまいなままに訓練飛行場ができ上がって、開港間際になりまして具体的な問題で追い詰められたかっこうになりまして、結局いろいろな問題が出てきたわけであります。
そこで、これも運輸省に申し上げたらお困りになるのじゃないかと思うのですが、昭和四十八年の六月十八日に非公共という形でこの飛行場は設置告示をしておられるわけですね。しかも設置許可に当たって航空法第三十九条の一項四号では「申請者が当該飛行場又は航空保安施設を設置し、及びこれを管理するに足りる能力を有すること。」とあるわけですね。ところが、沖繩県においては、以前はもとより現在においてもこれらの管制、無線、気象という三大業務の能力を有するには至っておらないと思うわけですね。しからばその沖繩県から非公共飛行場として許可申請がなされた際、どうしてその能力があると認めてそういう許可をされたのか。であれば、そのオーケーをした資料と申しますか判断した資料を運輸省は当然判断材料として持っておられたと思うのですが、その点はいかがですか。

○松本(操)政府委員 先ほどのお答えでも私ちょっと触れたわけでございますが、スタートの段階では設置した後の維持管理、とりわけ無線施設等の問題につきましては県当局といろいろお話し合いをいたしました。その告示を出すに当たっていろいろな話し合いをしてきました段階で、管理会社というものをつくってその管理会社が全面的に実施をする、それに要する費用は訓練の経費の中から徴収をする、こういう形で管理会社は自営できるはずである、これでいこう、こういうことであったのは間違いのないところであったと記憶をしております。
ただ、先ほども触れましたように、具体的に管理会社をどういう形でどうして動かしていくのかという細かな詰めの点について、いまにして考えれば、いま一歩二歩の詰めが甘かったのかなあという気はいたしますけれども、その時点におきましては、何回かお話し合いの過程において、そういう形で運営ができる、これでやっていこうではないかということにお互い合意をした結果として非公共用の告示を出した、こういう経緯でございます。

○玉城委員 そういうところにも問題がありまして今日に至ってきているわけであります。過去のこういう問題、過ぎ去ったことでもありますけれども、しかしこの経緯、いきさつを見ますときに、運輸省は非常に冷たい。これは申し上げる時間もございませんのでなんですが、したがってそういうことで、県は従来のような性格でこのパイロット訓練飛行場は財政的にもう維持できない。五十四億という、県財政を強烈に圧迫をして支出をし、その償還が始まっているわけですから。
そういうことで、運輸省の指導もあったと思いますが、従来の非公共、収益性を転換をして、いわゆる空港整備法に基づく公共用第三種空港に切りかえ、去った三月の二十七日に、県の方ではそういうふうに切りかえて運輸省に申請がなされていると思うわけです。これとても、パイロットの訓練、養成を主たる目的とする訓練飛行場を、空港整備法による第三種空港として位置づけることは、本来の趣旨からなじまない面もある感じがするわけですね。第三種空港といえば「地方的な航空運送を確保するため必要な飛行場であって、」云々という性格があるわけですが、これはパイロット訓練を主たる目的でできている飛行場であります。したがって、その空港整備法に基づいて公共用第三種空港に県としては持っていきたい、そうしないと維持できない、管制あるいは無線、気象、そういうものは自治体でできないわけですから。また、今後の維持管理等を考えたときには、空港整備法に基づいて、国のバックアップに基づいてやっていきたいということなんです。それで、この第三種空港に、本来的な意味のものになじまない。したがって、これはこのままでいったときに今後の県の維持管理にまたまた問題が起こりやしないかという心配が地元の県にあるわけですね。その点を明確に、心配がなければない、そのとおりこの法律の範囲できちっとやっていけるということであれば、そのように心配のない点をおっしゃっていただきたいと思います。

○松本(操)政府委員 まず、本件下地空港が第三種空港になじむかなじまないかという御質問でございますが、第三種空港の定義は先生いまおっしゃったとおりでございます。
そこで、この空港の所在地は御案内のように伊良部村にあるわけでございまして、伊良部村の人口もおよそ九千程度であったと記憶をいたしております。したがいまして、沖繩の各先島の人口等々を考えますと、九千人ほどの人口のあるところに空港があることは、もちろん宮古がすぐそばにはございますものの、海上運航はしけの場合には非常に困難であるというふうにも聞いておりますので、これは一つの考えとして成り立つのではないか。また一方、南西航空からも、早急にということではないのかもしれませんけれども、適宜本島からの便を飛ばすことを考えたいというふうな意向があることを聞いておるわけでございます。したがって、そういう意味から考えまして、県の方での御判断でございますけれども、これを三種空港として受け入れの用意をしておきたいというふうな御趣旨であるとすれば、三種空港にすることについて私は特に問題はないのではないか、このように考えます。
ただ、訓練が主体として建設され、今後も恐らく運営されていくべき空港でございますので、そこに一般の定期便が入ってくるということの可否の問題、あるいはそれが県のこの空港の維持運営に対して足かせになるかどうかという問題でございますが、これにつきましては現在までの県とのお話し合いの中において、この空港の使用料というもの、つまり訓練に係る使用料については、別途県の方の諸般の財政上の問題がございますから、これを一定の年限の間に償却できるようにすることとか、あるいは伊良部村に対して交付金を渡すという約束もございますので、そういうふうなものを含めしめるとかいう種々の計算の上に立って訓練のための使用料というものを決めようということで、これはもう原則的な合意に達しておるわけでございます。
その後適当な時期に路線が開設されたといたしますと、これは訓練とは別の業務でございますので、この部分につきましては通常の三種空港におけると同様、着陸ごとに適時着陸料その他を徴収するという形になる、付加的な財源として入ってくるということでございまして、ただ、そのためにターミナルをどうするとかいうふうな面はございましょう。しかし、ターミナル等はほかの第三種空港について見ましても、地元資本の参加によって、必ずしもこれを全額県費をもってつくるということではないように見ておりますので、御心配のような、三種空港に仮になったといたしました場合に、それが下地の訓練空港としての本来の趣旨を足を引っ張るようなことになるというようなことはないし、また、なじみがないものを無理無理にするというふうなことにもならないというふうに私どもは考えております。

○玉城委員 そこで、改めて運輸省に確認しておきたいわけでありますが、財政的に追い詰められましてこのように公共用第三種空港に切りかえるに当たって、県の議会では附帯決議をしてあるわけです。この空港の経過からしまして非公共という意味は、やっぱり沖繩県、非常に軍事基地、戦争という体験も積んでおりますので、こういうふうに飛行場ができたけれどもこれがまた軍事的に利用されたら非常に困る、そういうことが大きな理由になりまして誘致あるいは反対という大きな議論が当時起こったわけであります。そこで、今回切りかえるに当たって県議会では附帯決議をして、設置管理者であるところの県知事もそのとおりこの空港は維持管理をすべきであるという意思表示もしているわけであります。それで、その附帯決議の項目は「下地島空港は、民間航空機のパイロット訓練及び民間航空機に使用させることとし、自衛隊等軍事目的には絶対に使用させないこと。」という附帯決議をつけて、このように切りかえたわけであります。
設置管理者もそのとおりであるということですが、そのことについて、これまでのいきさつ等これあるわけですから、こういう沖繩県側の議会あるいは設置管理者の意向というものを尊重されるのかされないのか、その点をこれはぜひ大臣からお答えをしていただきたいと思うわけです。

○森山国務大臣 航空法上は、公共用の飛行場の場合は特定の航空機についてその利用を差別することはできないということになっておりますが、空港管理者が安全性と管理上の理由によって一定の航空機の利用形態を制限することは可能である。したがって、第一義的には設置管理者である沖繩県の問題でありますが、運輸省としては設置者の意向は可能な限り尊重してまいりたい、そういうように考えております。
「自衛隊等軍事目的には絶対に使用させない」という意味でございますが、これは軍事基地的な使用を認めないという御趣旨のように先ほど来承っておりますから、異例のことでございますので――本土の方では自衛隊の航空基地を併用して使わしてもらっているというようなところもたくさんあるわけでございまして、その意味で異例の要件でございますが、先ほどのようなふうに考えてまいりたいと思いますので、玉城先生におかれましてはどうかこの異例の事態の解消ということにできるだけひとつお手伝いを願いたいと思います。

○玉城委員 せっかくの大臣のお言葉でありますが、この問題がこの飛行場では大きな問題になっておるわけです。やはり軍事的な利用は絶対困るというのがこれは大きな理由なんです。したがって、いまの県知事もそういうことで、また議会でもこういうことですから、改めてもう一回、沖繩県のそういう意思というものは尊重するということを、簡単でいいですから、大臣、ぜひおっしゃっていただきたいわけです。

○森山国務大臣 第一義的には設置管理者である沖繩県の問題ですが、運輸省としては設置者の意向を可能な限り尊重したい、こういうことでございます。

○玉城委員 そこで重ねてこの問題で、沖繩県はこの訓練飛行場建設に対して約五十四億の県費を投下し、県財政に大きな圧迫を加えてきた。訓練飛行場の設置目的からして、投下県費の回収と、今後の維持運営に当たって県費の持ち出しはしないという沖繩県側の基本方針は、この経過からして私は当然だと思うのです。したがって、七月開港に向けて沖繩県側としては五月中にも使用料等を決定しなくてはならないわけであります。運輸省としては、ユーザーである航空会社に対して使用料算定に対しどのように指導をし、こういう県側の基本的な考え方、財政負担の解消について協力的な話し合いをさせるのか、国のお考えを承りたいと思います。

○森山国務大臣 航空局長がお答えする前に、非常にむずかしい懸案ですから、ぜひこの機会に懸案解決に私どもも努力をいたしますし、また地元出身の国会議員もお二人この席においでになりますから、どうか格別の御援助をお願いいたします。

○松本(操)政府委員 先生いまおっしゃいましたように、県がこの空港を維持運営していくのに必要な経費、もちろん県が起債をした分の償還その他をも含めまして、そういうものとか、これも先ほどお答え申し上げましたが、伊良部村に対する交付金とか、こういうふうなものをずっと勘定をいたしまして、県費の持ち出しにならないという範囲で何がしの額になるか、それをどういう形で払うかというあたりについていま関係企業を指導しておるわけでございまして、基本的な点につきましてはすでに県との間で合意に達しておると私どもは理解をいたしております。今後とも航空会社の方を積極的に指導してまいりたい、こう考えております。

参考 伊江島の反戦琉球民謡「陳情口説」(上り口説(ぬぶいくどぅち)の替え歌)

陳情口説

さてぃむ ゆぬなか あさましや
(さても 世の中 あさましや)

いせに はなさば ちちみしょり
(委細に 話しますから 聞いてください)

うちな うしんか うんぬきら
(沖縄 同胞のみなさん おねがいします)


しきに とぅゆまる アメリカぬ
(世間に とどろく アメリカの)

かみぬ しとぅびとぅ わが とちゆ
(神の 人々が 私の 土地を)

とぅてぃ ぐんようち うちちかてぃ
(取って 軍用地に うち使って)


はるぬ まんまる かなあみゆ
(畑の まわりを 金網で)

まるく みぐらち うぬ すばに
(丸く めぐらし その側で)

てぃっぽう かたみてぃ ばん さびん
(鉄砲 担いで 番を している)


うやぬ ゆずりぬ はるやまや
(親の ゆずりの 畑や 山を)

いかに くがにぬ とちやしが
(いかに 黄金の 土地なのか)

うりん しらんさ アメリカや
(それを 知らない アメリカです)


まじゃぬ ぶらくぬ しとぅびとぅや
(真謝の 部落の 人々は)

うりから せいふぬ かたがたに
(それから 政府の 方々に)

うねげぬ だんだん はなちゃりば
(お願いの 談合をして 話したら)


たんでぃ しゅせきん ちちみしょり
(どうか 主席様 聞いてください)

わんた ひゃくしょが うみゆ とぅてぃ
(私たち 百姓が 御前に 出て)

うにげ さびしん むてぃぬ ほか
(お願い するのは ほかのことではございません)


うやぬ ゆずりぬ はたやまや
(親の ゆずりの 畑や山が)

あとぅてぃ いのちや ちながりさ
(あってこそ 命が つながります)

いすじ わが はる とぅい むるし
(すぐに 私たちの 畑を 取り戻してください)


にげぬ だんだん しっちゃしが
(お願い 談合を しましたが)

みみに いりらん わが しゅせき
(耳に 入れてくれない わが 主席)

らちん あかんさ くの しざま
(らちが あかない このだらしなさ)


うりから ぶらくぬ しとぅびとぅや
(それから 部落の 人々が)

じひとぅむ うちなぬ うしんかに
(是非とも 沖縄の 同胞に)

たゆてぃ うやびん ちちたばり
(頼って おります 聞いてください)


なあとぅ いとぅまん いしかあぬ
(那覇と糸満と石川の)

まちぬ しみうてぃ にげさりば
(町の 隅々で お願いしてきましたが)

わした うにげん ちちみせん
(私たちの お願いを 聞いてくださいました)

十一
なみだ ながらに ちちみそち
(涙ながらに 聞いてくださり)

まちぬ むどぅいぬ うなさちや
(町に戻っていかれる お情けは)

まくとぅ しんじち ありがてぃや
(まことに真実 有難うございます)

2009年12月27日

甘いんじゃないかな? 政府試算の予算の経済押し上げ効果予測

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 5:56 PM

12月25日閣議了承の2010年度予算の経済押し上げ効果予測

物価下落10年度、政府見通し0.8% 

国内総生産(GDP)成長率実質で1.4%、名目0.4%

消費者物価指数前年度比0.8%低下

09年度第1次補正予算減額による経済押し下げ効果-実質成長率マイナス0.1ポイント押し下げ

09年度第2次補正予算案緊急経済対策による経済押し上げ効果-実質成長率プラス0.6ポイント押し上げ

10年度当初予算案子ども手当による経済押し上げ効果-実質成長率を0.2ポイント押し上げ(7割が個人消費に回ると予測)

農家の戸別所得補償による経済押し上げ効果-実質成長率を0.1ポイント押し上げ

というのだが、

デフレ・スパイラルの状況が、定額給付金当時より悪化していること、

定額給付金の総額が、今回の児童手当地方負担分(5680億円)を含む2.3兆円とほぼ同じ2兆円であったにもかかわらず、その経済成長率押し上げ効果は、プラス0.1-0.2程度であったこと、

定額給付金に比して、交付対象者が圧倒的に少ないことから「範囲の経済効果」(Economies of Scope)は、見込めないこと、
(これまでの児童手当対象者12百万人+新たに子供手当てに加わってくる対象者約5百万人=約17百万人、
月1万3000円×12ヶ月×17百万人=約2兆6千五百万円-地方負担分、
これまでの児童手当は家庭内での児童数によって、一人5千円から1万円、
以上の対象者の上積み分と、児童手当と子ども手当ての差額分が経済効果としてつみあがってくる。)

定額給付金の場合は、消費に向かったのは、2割程度であったと見込まれているのに、そのときよりも、経済状況が極度に悪化しているところから、子ども手当の7割が個人消費に回りうる可能性は少ないこと、

などから、直感的に見て、かなり甘い見通しのように思える。

今回の経済状況から見て、これらの子供手当てや農業者戸別所得補償などの直接支払い型の政府支出の多くは、貯蓄や借入金返済原資として回ってしまう、いわゆるデフレの罠に吸い込まれてしまう確率が高いと見込まれるところから、経済成長率押し上げ効果は、ほとんどないものと見込んでもいいのではかなかろうか。

それと、これらの直接支払い型政府支出は、事務費や送金手数料などのトランザクションコスト(TransAction Cost)が高いため、納税者番号制度の整備や住民基本コードとの連携、小切手支出などのソフトが伴わない限り、途中ロスの多い政府支出となる点も、解決課題としてある。

これからも、これらの直接支払い型政府支出を現政権が志向されようとするのなら、どうして、これらのソフトのスキームの充実を先行させないのだろうか?

もっとも、納税者番号制度などは、遊戯組合など、民主党の支援団体とかなりバッティングする可能性の多いことは、十分承知しての指摘なのだが。

参考
直接支払い的補助金は、「流動性の罠」にひっかかるのでは?」

2009年12月26日

農家の自家消費米の市場化と戸別所得補償との関係は?

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 5:57 PM

ちょっとシミュレーションしてみましょうか。

①コメの生産拡大意欲を持たない人→
→減反に参加する→戸別所得補償をもらう。耕作放棄地は復活。自家消費分も市場にまわされ、コメ市場は、供給過剰へ→更なるコメ価格の下落につながる。

→減反に参加しない→どういうケースだろうか?受委託継続

②コメの生産拡大意欲を持っている人→

減反に参加する
→コメが安い場合→戸別所得補償をもらう。自家消費分も市場にまわされ、コメ市場は、供給過剰へ→更なるコメ価格の下落につながる。
→コメが高い場合→どういうケースだろうか?本来もっと手取りが増えるのに、機会損失となる。

減反に参加しない
→コメが安い場合→どういうケースだろうか?薄利多売型農家というか–
→コメが高い場合→本来は、作り放題に作って、機会利益を受けうるはずであるが、農地集積の可能性が低くなる限り、生産意欲は限定

ということでしょうか?

ポイントは、これまでの兼業農家の生産米の多くが、本来の自家消費から、市場にまわってきて(自家消費から個人直接販売というか、庭先販売へのシフト)、兼業農家の多くは、安心して、いわゆる販米農家(自給販米農家)に徹してくる確率が高くなる。ということなのではないでしょうか。

この結果、生産意欲のない農家が、戸別所得補償はがっちりもらいながら、これまでの自家消費米や縁故米・贈答用米を安心して市場に回し、自分たちは、飯米農家に撤するということになると、自家消費米の市場出回り量は多くなり、米の価格は、さらに下がり、農地集積のできない、生産意欲を持つ農家は、米の価格低下による相対的なコスト高の影響をモロにうけていく、という構図なのでしょうか

現在の農家の自家消費米の量については、このサイトご参照

農家自家消費量は、「生産者の米穀現在高等調査」(飯用消費分)のうるち・もちの合計値であり、全体の9パーセント、
無償譲渡数量-いわゆる縁故米・贈答用米-は、「生産者の米穀現在高等調査」のうるち・もちの合計値であり、全体の7パーセント
となっている。

意外と多いんですね。

つまり、表面上は、減反も守られ、耕作放棄地も復活(というか、戸別所得補償を受け取るがためのやむを得ざるコメ生産のポーズだけの復活)できるのですが、戸別所得補償という換金回路(というか、換金しなくとも、金になりうる回路)の存在のために、本来の農政の枠外であったニッチの農家の自家消費米が、プラスアルファの換金作物として、市場に登場し、コメ価格に影響を与える、ということなのでしょう。

減反面積はちゃんと守られているのに、市場ではコメ余り現象が一段とひどくなる、という構図が予測されますね。

そのことは、中期的には、更なる生産コストと販売コストとの乖離を招き、戸別所得補償額は、年々膨らみ、ついには、このスキームは、かつてのEU同様、巨額の財政負担のために、やむなく、崩壊する。という経路をたどるんでしょうね。

まさに、コモンズの悲劇が、この農政の場面でも展開されるというわけですね。

つまり、市場ですでに飽和状態となっているアイテムについて、品質に対するインセンティブでない、形だけの耕作継続に対するインセンティブを過剰に与えたツケとしての悲劇ともいえますね。

制度の目的として日本の食糧自給率の向上をうたいながら、すでに自給率が飽和状態に達しているコメという産品に対して、さらにこれでもかのインセンティブを与えているという戸別所得補償のスキームの矛盾の結果がここに現れているとも言えそうです。

石破茂さんの『米政策の第2次シミュレーション結果と米政策改革の方向』の「選択肢3」によれば、「生産費の低下スピードと生産調整の「緩和」による米価下落のスピードを調和させることにより、財政負担を抑えることが可能となる。」という善意の麗しい予測に基づくものなのですが、現実は、そうはいかず、実際は、この農家の自家消費米というゾンビ的な伏兵にもろくも、このスキームは破られてしまうことになりそうですね。

この自家消費米と縁故米、贈答米というのは、米流通におけるのりしろ的存在というかゲリラ的存在というか、米流通における農家段階での自家消費米と出荷米との両刀使い的グレーゾーンな流通在庫というか、ふだんは正規流通の影に隠れているのですが、今回のように、米の対価としてでなく金が支払われるということになると、一躍、農家にとっての有力な換金作物として、とことん、すってんてんに売り払われる(米不作時などの庭先売りの主要供給源)、という性格を持ってくるのですね。

そのへんを農林水産省は見落としてしまっているんでしょうかね。

農林水産省は「主食用米の需給調整はこれまで以上に進む」なんてのんきなことを言ってるんですが。

つまり、この戸別所得補償は、このようなバグが隠されたスキームなのですね。

えっ? 飯米農家の市場でのコメ需要がふえるですって?

そうはいかないでしょうね。そこは、減反不参加農家の縁故米の地域内流通という、これまた、隠れた市場ってのがあるわけですから、これでこれらの漏れは、うずまっていくという仕掛けとなるんでしょう。

また、かんぐると、戸別所得補償を受ける資格要件確保のために、一応、減反を宣言するが、実際は、減反分のほうに、表面的には、水田利活用自給力向上事業の対象になるようにしといて、実は、水陸両用の新規需要米モドキの混米用の一物二価米を作って、これを、グレーゾーン米として、確保しといて、『一粒で二度おいしグリコ米』を作っておく、という裏の手をやらかすものも出てくるかも知れませんね。

ましてや、減反未達成分については、もはやペナルティは課せられないのですから、モラルハザードのオンパレード、偽装転作のオンパレードとなって、農林水産省が予測する以上の米余り現象となって、コメ価格は、予想以上に低落し、日本のコメ農家の総アウトサイダー化によって、コメ版コモンズの悲劇は、日本列島いたるところの田んぼで繰り広げられるのでしょう。

2009年12月23日

霊能師的レトリックを駆使することがお好きな鳩山政権

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 5:59 PM

例の普天間問題で、鳩山さんは、12月17日のデンマーク女王主催夕食会でクリントン氏と隣席だったとして、「お互いに日米同盟は大事だから頑張ろうという意味で理解を示していただいた」「基本的に理解いただいた」「米国の姿勢が大きく変わっているはずはない」「沖縄県民の期待が高まっている。日米合意は重いが、強行すると結果はどうなるか。大変危険だ。選択を考えているので、しばらく待っていてほしい。とクリントンに要請したが、これに対しクリントン長官は「よく分かった」と答えた。」などと、述べていたのだが、どうも、クリントンさんは、そうは、思っていなかったようだ。

今日のイギリスのガーディアン紙の記事「US warns Japan over relocation of Futenma airbase」では、昨日、休日にもかかわらず、クリントンが日本駐米大使藤崎氏を呼び出したことについて、アメリカ国務省のスポークスマンであるイアン・ケリー氏は、「二人は、日米二国間の幅広い問題を話し合った。」とのみコメントし、それ以上の言及を避けたとしている。

しかし、内実は、クリントンは、「日本は、2006年合意(「再編実施のための日米のロードマップ」)を尊重しなけれはならない。」と強く言ったとされる。

(注-この2006年合意のなかには、「個別の再編案は統一的なパッケージとなっている。」(The individual realignment initiatives form a coherent package.)とちゃんと書いてあるんですね。その意味では、アメリカの言うことのほうが正しい。)

そして、クリントンは、「アメリカは、現在の日米合意の一日も早い実施(swift implementation)を求めている。」として、当初案の辺野古移設実施を強く求めたとされている。

まあ、こうなれば、では、コペンハーゲンでの鳩山総理の勘違い発言は、意図して行われたのかどうかは別にして、まったく、いいかげ゛んな憶測に基づく発言だったというわけだ。

この「多分、思っていると思うよ」的な発言は、このほか、鳩山政権のここかしこに見られる。

その最たるものが、小沢一郎さんの「天皇陛下にお伺いすれば(会見を)喜んでやってくださると思っている」などという発言だ。

さらには、民主党の記者会見で頻発されている「国民は、そう願っていると思うよ。思っていると思うよ」発言的な、意図してステロタイプ化された発言は、枚挙にいとまがない。

恐山の本当のイタコの皆さんには、例に出して悪いが、イタコのいわゆる「口寄せ」は、神仙や死者・行方不明者の霊などを自身に乗り移らせてその言葉を語ることにはじまる。

その真実性については何人とも証明できないものではあるが、このイタコの口寄せのレトリックに、今の鳩山政権の「多分、思っていると思うよ」的な発言は、極似している。

イタコが口寄せのレトリックのストーリーを作る前段階で、コールドリーディング(Cold reading)的な前作業が必要で、そのためには、イタコに悩みを訴える人の心情を読み取る力が必要であるとされる。

それは、政治の世界で言えば、世論調査的な予備調査なのであろうが、民主党のそれは、そのコールドリーディング的な前作業をすっ飛ばしているもんだから、「間違ってたので、ごめんなさい」の続出につながっているのだ。

ましてや、小沢幹事長などは、天皇陛下のコールドリーディングまでチャレンジしようというのだから、あきれてしまう。

本来、国民の意思や、外交での相手方の意思を読み取るチャネリングの役割をすっかり果たしていないまま、いたずらに、イタコ的なレトリックを駆使しているのが鳩山政権とも言える。

何でも、上記のwikiを見ると、このコールドリーディングのほかに、詐欺師がよく使う技法として、ショットガンニング(Shotgunning)という技術もあるらしい。

相手に大量の情報を話すが、そのうちのいくつかは当たるため、相手の反応を見計らいながらその反応に合わせて最初の主張を修正し、全てが当たったように見せかけるという手法のようだ。

そういえば、マニフェストの手法も、そんな技術を結果として駆使しているようにも見えてしまう。

詐欺師的なレトリック手法に頼らない、正々堂々の鳩山政権の意見開示が求められているのでは?

参考
コールド・リーディング

2006年合意の沖縄部分抜粋

「(d)再編案間の関係」

「沖縄に関連する再編案は、相互に結びついてい(る)」

「嘉手納以南の統合及び土地の返還は、第3海兵機動展開部隊要員及びその家族の沖縄からグアムへの移転完了に懸かって(いる)」

「沖縄からグアムへの第3海兵機動展開部隊の移転は、
(1)普天間飛行場代替施設の完成に向けた具体的な進展、
(2)グアムにおける所要の施設及びインフラ整備のための日本の資金的貢献

に懸かっている」

2009年12月22日

解せない野中氏の「団体推薦候補の擁立見送り」論

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 6:01 PM

全国土地改良事業団体連合会の会長を務める野中広務元自民党幹事長は21日、政府、与党の土地改良事業費半減方針をめぐり、予算の復活を民主党に陳情するとともに、来夏の参院選に向けて自民党からの団体推薦候補の擁立見送りも検討する考えを示した。(参考記事)
というのだが、ここは、政党のおもちゃにされている南部明弘さんの方が、むしろ、かわいそうだ。

むしろ、ここは、順序が逆で、もし、野中さんがその意図であるならば、物事の順序としては、まず、全土連が、今後一切、参議院選挙を含む国政選挙にかかわるのをやめる決議をして、政治連盟(全国土地改良政治連盟)の解散をし、その後、野中さん自体が、政党色・政治色(過去古色ではあるが)をなくすという意味で、責任を取られて、全土連の会長を辞されれば、あとは、南部さんの問題は、はしごがなくても出るのか、はしごがなくなったから、出ないのか、という南部さんの個人的な問題にすぎなくなるのだが。

この際、山田俊男さんには、悪いが、土地改良政治連盟だけでなく、JAの農政連(全国農業者農政運動組織連盟)も、解体しといたほうがいい。

換票回路として、農業・農民を利用しようとする母体は、新政権に媚の対象を挿げ替えるのではなく、この際、解体してしまったほうが、農家農民のためだ。

昨日の一件は、なんとなく、野中さんの個人プレーのような感じがしてならないのだが。

つまり、組織決定もしないで、このような方針を示され、しかも、政権政党への恭順的陳情外交を先にされてしまうと、全国の末端土地改良区自体が、それこそ、政党間の「売られた花嫁」的な存在になってしまうことを、野中さん自体が知るべきである。

私も、以前、土地改良区の理事長をしていた感じからいうと、全国の土地改良区の理事役員には、それこそ、共産党も公明党も自民党も民主党も旧社会党も旧右派も旧左派もいるわけで、それが、参議院選挙の時にまとまるのは、組織決定するからだけの話なんで、そこのところを野中さんが取り違えると、ちょっとおかしなことになってしまうのだが。

実際、私のような自民党を離党した者が土地改良区の理事長を務めていたときでも、自民党政権時代、なに支障なく、国営灌漑排水事業の予算は、しっかり新規採択され、しっかり、その後の予算もいただいていたのだから、政権が変わったからといって、そんなに、慌てふためく必要はないはずなのだ。

2009年12月20日

間違っている朝日新聞の昨日の『戸別所得補償』関連記事

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 6:02 PM

昨日の朝日新聞の戸別所得補償に関する記事「農家の戸別所得補償、満額実施へ 事実上の減反選択制」に間違いがある。

「天下の朝日新聞の記者さんも、勉強する暇がないのかな?」などと同情してしまうのだが。

間違いの箇所は、次の部分である。

「算出のもとになる「販売価格」と「生産コスト」は、過去数年分の平均値を使う。その年の実績を用いると赤字全額を埋めることになり、世界貿易機関(WTO)が農業保護で貿易をゆがめる「黄の政策」と認定するからだ。直接支払制度を導入している欧米でも、過去数年間の生産実績をもとにするケースが多い。 」

このことについては、私が先月、農林水産省に提出した意見書(ご参照「私が農林水産省に提出した戸別所得補償制度に関する意見の全文」)にも書いたとおり、WTOの農業協定では、次のようになっていて、この記事の言うような、
「その年の実績を用いる」と黄色の政策となり、「過去数年分の平均値を使う」と黄色の政策とみなされない、
などということは、ひとつも書いていない。

すなわち、
WTO農業協定付属書2.6(b)においては
「生産者によって行われる生産の形態又は量(家畜の頭数を含む。)に関連し又は基づくものであってはならない。」
とあり、
WTO農業協定付属書2.6においては、
「生産に係る国内価格又は国際価格に関連し又は基づくものであってはならない。」
とある。

その年の実績を用いようが、過去数年分の平均値を用いようが、WTO農業協定上では、「販売価格」と「生産コスト」に基づいた直接支払いは、黄色の政策とみなされているのである。

また、今回の戸別所得補償スキームでの家族労働費の算定がまだ明らかになっていないが、これについても、WTO農業協定においては、次のように、70パーセント以上の喪失収入を補償するものであってはならないとの取り決めがある。(戸別所得補償スキームでは、家族労働費の八割分算入なんて話もあったようだが、その後どうなっているんだろう?)

WTO農業協定付属書2の7(b)
「当該生産者の喪失した収入の七十パーセント以上の額を補償するものであってはならない。」

また、この朝日新聞の記事では、
「(黄色の政策となることを避けるために)直接支払制度を導入している欧米でも、過去数年間の生産実績をもとにするケースが多い。
とあるが、これも、正しくない。

すなわち、言われる『欧米』の『米』のほうであるアメリカの価格変動対応型支払いや直接固定支払いやACRE支払いにおいても、過去数年間の生産実績をもとにしているのは事実であるが、アメリカは、このスキームを新・青の政策(New Blue Box)としてWTOに求めさせようとしたが、失敗し、現在、WTOの場で、他の国から、このスキームは、黄色の政策であるとの指弾をうけている。

また、言われる『欧米』の『欧』のほうであるEUにおいては、すでに、2003年のFischer reform(New Cap)によって、それまでの1992年のMacSharry reforms(Old Cap)のスキームを大幅に変え、『直接支払いから単一支払いスキーム』へと変更しており、その内容は、、完全に生産からニュートラルなデカップリングとなっており、WTOコンプライアンス適合型の直接支払いとなっていることを、どうやら、この記事を書かれた朝日新聞の記者さん(署名記事で安川嘉泰さんと記されているのだが。)は、見落とされているようである。

このことについては、過日、赤松農林水産大臣が、WTO閣僚会議の場で、ボエルEU農業委員と個別会談したときに、ボエルEU農業委員が、日本の新政権が戸別所得補償制度を軸とした新しい政策を検討していることに触れ、WTO協定上、問題にならないかと赤松農相に質問したうえで、「EUのデカップリング政策を参考にしてほしい」と述べたとの報道がされている。
参考「WTOの場で、ボエルEU農業委員に戸別所得補償スキームの黄色度を注意されたらしい赤松農林水産大臣

2009年12月18日

野党転落の自民党再起を遅らせているのは、本来情弱のせい?

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 6:04 PM

うーん。

野党転落後の自民党の情報発信力は、極端に低下していますね。

そのことが、なかなか、自民党再起への道を遠いものにしていると見られますが、どうなんでしょう?

第一、谷垣さんのブログを見ても、なるほど、こまめに更新はしているものの、その内容は、正直言ってつまりませんものね。

明らかに、秘書が書いているものと見られても仕方ありません。

第一、文体が生き生きとしていませんもの。

そのほかの自民党の議員、前議員のブログをみても、敵(民主党)のミスに対して、即座に適格な反論を展開していない、そんな感じが見られますね。

それは、Googleのブログ検索でも、タイミングのいい反論が、自民党サイドから即座になされていないことからも、わかります。

たとえば、Googleブログ検索してみればわかりますが、昨日の民主党の『土地改良予算半減』に対しても、ブログで問題提起しているのは、自民党でも民主党でもない、私のブログくらいなもんでしたよ。

こういう類は、報道が出た即日に適格な論理で反論しなければならないのに、それが反論できていない。

その意味では、地方の自民党議員の情弱ぶりも、イタイですね。

やはり、自民党の中で、群を抜いているのは中川秀直さんのブログと、河野太郎さんのブログですね。

この二つは、いい。

自分の考えで、言葉をつづっていらっしゃる。

単なる他党の批判ばかりでなく、自らの提案とビジョンをもって語っていらっしゃる。
(官僚依存型の情報発信に、多くの自民党議員たちは慣らされ、自らの情報発信力を磨くことを、これまで怠ってきたのかも知れませんね。だから、官僚が去った後には、大きな空白が、っていう今の状況なのかしら?)

今回の選挙で落選された自民党前議員の皆さんが、このお二人ほどの敏感さと機敏さを持って、海鳴りのごとく、なだれのごとく、情報を発信しつづけていけば、結構、力強い地鳴りは起こせると思うんですけれどもね。

間の悪いことに、今回の選挙で生き残った自民党の先生方の多くは、ベテラン議員で、しかも、ネットでの情報発信には、弱い方々ばっかりというのが、痛いですね。

小池百合子さんは、ツイッターで挽回、なんて意気込んでいるようですが、ツイッターと連携しうる大本の情報発信がなければ、つぶやきは、泡と消えてしまうんではないかしら。

情弱からの脱皮こそ、自民党再生の鍵と思うんですけど、いかがなもんでしょう?

えっ?情弱ってなに?なんて聞かないでくださいね。

現代の巌窟王やだるま和尚は、ネット発信でもって、獄中や隠遁先から、復讐への爪を研ぐことができると思うんですけどね。

2009年12月17日

土地改良予算を半減するというマニフェストはなかったはずだが。

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 6:07 PM

昨日の民主党から鳩山内閣に対する予算要望で、戸別所得補償予算(要求額5618億円)を確保するために、土地改良予算(要求額4889億円)を半減するというのがあって、前半のほうはマニフェストにあったが、後半のほうは、マニフェストになかった、ということで、やっぱり、この戸別所得補償のマニフェストは、朝三暮四ということだったのか、と、いまさら気づいている農家は、多いはず。

それにしても、いまや、新規事業が少なく、継続事業が大半の、現場における土地改良事業が半減となると、換地の途中で計画変更になったり、などと、さらに輪をかけて、大規模化のための土地集積事業にも、大きな影響を与えてくると思うのだが、現場のかたがたは、どう思っているのだろう?

ましてや、同意書の段階に入っている事業なんかは、もう、その段階で、三条資格者からは、見放されていくんでしょうね。

どうせ国民に約束するのなら、トレードオフの両方を同時提示してもらわなければ、農業の現場は混乱するばかりですね。

いくら全土連の会長が野中広務さんだからといって、また、自民党が次期参議院選挙で南部明弘(前・九州農政局長・農村振興局整備部長)さんを立てるからといって、その遺恨試合に農民を巻き込んでいくのは、どうかとも思いますね。

これからのマニフェストは、甘いマニフェストと、そのトレードオフとなる辛いマニフェストとを、両建てで提示すべし!!!!!

2009年12月15日

サミュエルソンは、日本の失われた十年を、すでに予測していた、とのクルーグマン氏のコラム

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 6:19 PM

大学にはいって初めて渡されたのがサミュエルソンのEconomicsで、「えっ、こんな分厚いの英語で読めっての?」ってのが最初のサミュエルソンとの出会い。

当時は、今みたいに、翻訳本はなかった。(川田 寿さんの「サムエルソン・経済学概説』が出版されたのは、1958年でした。)

それでも、図示も多かったので、それほどの圧迫感はなかった。

で、政治家になったばっかりで、大平元総理の地元でのしのぶ会に出席のため、仲間の同期の政治家と空港で待ち合わせていたら、大田誠一さんが、このサミュエルソンのEconomicsを小脇に抱えて登場したのには、びっくりした。

そうか、彼の前身は、プロフェッサー(福岡大学経済学部助教授、ブラウン大学客員助教授)だったんだ、と、そのとき、初めて認識を新たにした。
(たしか、このとき、大田さんは、「コンパクトシティ / G.B.ダンツィク,T.L.サアティ[他]日科技連出版社, 1974」という本も抱えていたような。私もこの本、それ以前に読んでいたんで、印象的でしたね。)

サミュエルソンの「公共財と私財における資源の最適配分決定論」なんてのは、今の日本の陳腐な「大きな政府、小さな政府」論争を凌駕するものがあるとも思われる。

昨日のニューヨークタイムズのブログ
Samuelson, Friedman, and monetary policy
で、クルーグマンは、次のように書いている。

「サミュエルソンは偉大な経済学者であったと同時に、現実の世界に対する正確な観察者でもあった。

これは、金融政策についてもしかりであった。

1980年代までは、多くのエコノミストたちは、ミルトン・フリードマンの主張でもあった「積極的な金融政策が大恐慌を防ぐ」との主張を正しいものとしていた。

このことについて、経済学者の幾人かが疑念を抱いたのは、1990年代の日本での失われた十年でのトラブルであったが。それでも、確たる疑念となるのは、2002年のバーナンキの宣言(参考「Bernanke: Federal Reserve caused Great Depression」ミルトン・フリードマンが、2000年10月1日のPBSのインタビューで、1929年の大恐慌をつくったのは、FEDの責任であるといったことについて、2002年11月8日に、バーナンキがシカゴ大学で行った講演で、フリードマンの指摘は正しく、FEDとしてもすまなく思う、といったことをさしている。)にまで、待つことになった。

しかし、サミュエルソンは、すでに、1948年の彼のEconomicsの353ページから354ページにわたって、次のように記述しているのである。

““今日、FEDの金融政策を景気循環を刺激するための万能薬のようにみなしているエコノミストは少ない。
単なる貨幣的要因だけでは、その兆候が完全には無視できない悪化の効果を伴った兆候であっても、兆候と原因とは同じ程度のものである。
政府債やローンの量を増加させたり、また、加盟銀行の法定支払い準備率の引き下げによったりすることによって、準備銀行は、マネーの供給や銀行預金の増加を促すことができる。
しかし、彼らは、促すことはできるが、ドラスティックな行動をとることがなければ、彼らは、強制することはできない。
われわれがFEDの方針をもっとも必要としているような極度の不況のさなかにおいて、加盟銀行は、ともすれば、新投資を行ったりローンを組むことにためらいを見せる。
もし、FEDが、公開市場において、国債を買い、それによって、銀行準備金を増大させるなら、銀行は彼らの資金を向けないであろうし、ただ、保有金として保有するだけであろう。
その結果は、何も起こらず、ただ、銀行の遊休現金のバランスシートが、既発債のバランスシートに置き換わるだけである。
もし、銀行や大衆が利回りが低い英国債と遊休現金との間の選好にまったく関心がなければ、FEDは、既発債の価格をせり上げることに成功しないであろうし、これは同じことになるが、利率をせり下げることにも成功しないであろう。
たとえ、FEDが、短期金利を押し下げることに成功したとしても、彼らは、投資家たちをして、長期金利が低いままとなるであろうと確信させることはできないであるう。
もし、スーパーマンの努力によって、彼らが上位格付英国債や民間債の利率を引き下げることができたなら、モーゲージやコマーシャル・ローンや株式上場などによってファイナンスされたよりリスキーな新投資に科せられた利率は、硬直性を保つであろう。
すなわち、拡張的通貨政策は、実効金利をそんなには下げることにはならず、単に、すべてのひとにより流動性を高めるためにのみ使われるであろう。

貨幣数量説に関していえば、貨幣流通の速度は、一定を保ってはいないといわれている。
“あなたは、馬を水辺に引っ張っていくことはできるが、馬に水を飲ませることはできない。”
あなたは、貨幣代替物に近い国債と引き換えに、マネーをシステムに押し付けることはできるが、新商品や新雇用に対して循環しうるマネーを作ることはできない。
あなたは、いくつかについての利率を下げることはできるが、すべて同じ程度には下げることはできない。
あなたは、低い金利で企業家をして、借りる気にさせることはできるが、彼らをして、金を借り、それをあたらしい投資財に使わせることはできないのである。””

クルーグマン氏は、このコラムの中で、サミュエルソン氏は、この当時の記述で、現在のわれわれの抱えるジレンマをすでに語っていた、としている。