2009年10月1日
亀井金融担当大臣のモラトリアム(ローン返済猶予)構想が波紋を呼んでいるが、金に困っていなさそうなテレビ・コメンテーターのもっともらしい薀蓄には、ちょっと、辟易するものさえ感じてしまう。
私は、モラトリアム・スキームの詳細の検討についてはしっかりやっていただきたいが、やはり、亀井金融担当大臣が今回の提案をするにいたった意図の根底には尊重すべきものがあると思う。
それは、竹中金融担当大臣の時に、決済機能の回復のみを旗印にして、金融機関をBIS規制遵守で萎縮させた結果、末端借入者に何が起こったのか、ということについての時代検証の必要性でもある。
マクロ経済において、地価が下がり、担保割れがおきれば、担保対象不動産を処分しても、残債が残る。
金融機関にとっても、多少の返済猶予の貸し出し条件変更に応じたほうが、結果回収できる実入りは多かったはずである。
しかし、BIS基準に基づく金融庁の検査強化に恐れて、金融機関は、表面上の不良債権をいかに少なくするかに没頭し、貸し剥がしによって、まだ生きるかもしれない借り手をどうしようもない状態にしていったのである。
親鶏を早々と殺しておいて、卵で返せ、と、迫るのとおんなじ、無茶な論理である。
つまり、銀行は、自己資本比率維持のため、その「分母」となる総資産の圧縮を、不良債権の売却、貸し渋り、貸し剥がしによって、圧縮させていったのである。
地価が下がり、デフレが進行すれば、既往貸出の無担保比率は、当然向上する。
しかし、その無担保比率の向上自体が、銀行に必要とされる自己資本の増大を招いていく。
追加担保徴求が不可能であれば、銀行としては、分母を切っていくしかなくなってしまう。
公的資金注入には、名乗りを上げる勇気が当時の金融機関になかったことが、これらの末端借入者へのしわ寄せを一層よんだと見ていいだろう。
つまり、マクロでの地価下落分が、玉突き衝突的に、末端の借り手の残債となって、残ったという構図である。
今回の亀井提案は、あまりにダイレクトすぎる提案であるとはしても、もっと、いろいろなポリシーミックスをすることによって、今、モラトリアム提案に提示されているいろいろな懸念は払拭できるものと思われる。
たとえば、今回のアメリカの金融危機で、なるほどなと思ったのは、アメリカは、金融機関の必要であるないにかかわらず、当初の段階で、公的資金注入を全金融機関ほとんどに強制的に割り当てたことである。
このことで、公的資金を受ければ信用収縮の風評被害が出るという、金融機関の懸念が払拭されたのである。
それと、必要と思われるのは、残債を損きり・免責することで、金融機関がメリットを受けられるような、インセンティブを、マクロ的に政策のなかに盛り込むことである。
現在、金融機関は、回収不能債権を系列のサービサーに投げることによって、損きりが確定し、整理損や貸付金の否認分を繰り延べ税金資産にカウントすることで、未収還付事業税を納入し、負債整理の決着が付くことによって、税効果会計による高率の還付加算金つきで返ってくるというメリットが得られる。
金融機関のサービサーへの債権譲渡の際の卸値は、ものによっては、10分の一以下、平均、5%程度といったもののようである。
しかし、その売却債権の仕入れ値は、一切、金融消費者たる債務者には、明らかにされていない。
債権譲渡された債権者からは、そ知らぬ顔で金融消費者たる債務者への請求が来る。
まるで、中古のジャンク同様のテレビをそ知らぬ顔で、新品の値段で売ってくるようなものだ。
ここにおいても、債務者は、デフレの最後のつじつまあわせとなってしまっている。
債務者は、金融消費者であるという視点が、ここでは、すっぽりぬけ落ちているのである。
弱い金融消費者に対するデフレのドミノ的転嫁は、ここでもおこっている。。
そこで、今回の亀井提案を、より、精緻な形で政策に生かすとすれば、マクロ的に言えば、金融消費者としての債務者のセーフティーネットをどのようにきづきあげていくのか、ということになる。
ちょっと考えただけでも、金融機関が損きりをしやすい税制面での環境作り、金融庁の金融機関検査基準の緩和、金融機関の金融消費者としての借り手に対する、サービサーの仕入れ値の公表の義務付け、譲渡債権の仕入原価公開主義に基づいた債権請求の遵守、などなどが必要になってくるものと思われる。
ブラックスワンの著者で有名なナッシム・タレブ氏は、次のようなことを言っている。
「これまで目を隠してスクールバスを運転してきたもの(金融資本の運営者)へ、再度、スクールバスの運転を許してはならない。」
「壊れてしまった卵でオムレツを作るように、これまでの資本主義のスキームの立て直しを図るのではなく、資本主義バージョン2.0としての新しいスキームの元で、金融資本主義の立て直しを図らなければならない。」
G20で、内需振興の方向での合意ができたといえ、いったい、今、世界のどこの国で、本気になって、内需振興を志向している国が、日本以外にあるのでょう?
内需振興とプロテクショナリズムとは、アメリカにとっては一致しているが、アメリカ以外の国にとっては、どうなのだろう?
バイ・アメリカンで割を食らうのは、アメリカ以外の国、バイ・ジャパンで割を食らうのは、高い消費資材を買わせられる貧乏人。
って言う構図なんでは?
G20では、そもそも、かってに違う概念で、内需振興に合意していたのではないのでしょうかね?
このような指摘は、アメリカにもあるらしく、このサイト「GRISWOLD: Obama’s protectionist policies hurting low-income Americans」では、オバマ政権のバイ・アメリカン政策は、安いタイヤや衣料しか買えない低所得者を直撃する、としています。
どうも、この一見格好のいい内需振興の言葉のコインの裏側には、バイ・アメリカンに追随させられるような言葉のあやがあると思うのは私だけでしょうかね?
各国が、今、どの主要国も、ビナイン・ネグレクト(慇懃なる無視)で、自国通貨安を容認しているのは、一方で、プロテクショナリズムを志向しながら、輸出条件を通貨安で、補おうとしている、そんな思惑が働いていると見るのは、意地悪すぎるでしょうかね。
つごうのいいプロテクショニズムを志向する一方で、自国通貨安を志向することで、一見大儀に見える内需振興というパラメーターは、、見事に、プロテクショニズムの別のキーワードに合成されてしまうのです。
自国通貨安をパラメーターにしての、不可逆的なプロテクショナリズムの志向というわけです。
G20の中で、一番バカ正直に見えるのは、内需振興と円高容認とを、まさに寸分違わない平仄したスタンスで主張している日本だけ、と、みえてしまいますね。
だったら、内需振興を言うのなら、堂々と、バイ・ジャパニーズを主張すればいいじゃありませんか。
しかし、その結果生まれるのは、バイ・アメリカンですでにアメリカに生じていてるらしき、貧困者いじめの内需振興であり、プロテクショナリズムです。
2009年9月30日
残り少なくなった自民党議員と自民党党員は、新自民党総裁に谷垣禎一さんを選んだようだが、果たして、谷垣さんで、自民党の再生ができるのか、はなはだ疑問である。
いまの自民党を取り巻く政治マーケットの状況は、自民党は負けたが、新保守のマーケットは、まだ、うずまっていない、ということなのだ。
新保守のマーケットとは、民主党の右側にすれすれ位置する人々である。
どちらかといえば、進取的な政策に共感をもち、従来のじっちゃんばっちゃん的な在来型自民党支持者たちとは一線を画する人たちである。
谷垣さんのスローガン「がんばっていこうぜ」的なもので、すぐさま踊るような人々では、すくなくとも、ない。
別に私は、谷垣さんをだめだといっているわけではないが、彼の、その政治的な生い立ちからする蒸留水的な無機質さが、自民党を敗走から追走へと転換できるパラダイムを構築できるかといえば、はなはだ、疑問のようにも思える。
いわば、政治家としての動物的なにおいに欠けているのである。
それは、落選経験やスキャンダル経験がないことが、逆に、彼をノー天気な政治家に感じさせているのかもしれない。
いろんな意味で、修羅場を経ていないのが、彼の欠点といえば欠点である。
修羅場らしいものは、例の加藤の乱のなみだ目での「大将なんだから、一人で行っちゃ」くらいなものだが、あれで、親切ごかしで、加藤さんを引き止めたことで、かえって、その後の加藤さんの政治的運命や宏池会の運命を狂わせてしまった、張本人でもある。
私は谷垣さんとは、かつて、宏池会の同期-というより、私が議員一期の途中で、京都府第2区 (中選挙区)が、三人の補欠選挙となり、野中さん、谷垣さんなどで、2つの議席を争う異例の補欠選挙に谷垣さんが立候補されて、その補欠選挙には、白川勝彦さんなどが先頭にたたれて、京都のホテルに陣を構え、新人一期生のわれわれも、その応援に京都に泊り込みで、応援したものであった。
また、これもご縁で、谷垣さんのご尊父の谷垣専一さんと私の父とは、農林省の農政局で一緒に戦後の未懇地買収など農地確保の仕事を一緒にさせてもらったというご縁もある。
では、せっかく空いている、民主党では満足でない新保守のマーケットを埋められうる論客は誰なのだろう?
私が注目しているのは、中川秀直さんである。
少なくとも、自分自身のキーボード入力で、おそらく日経記者時代に培ったであろう、綿密な分析力と力強い説得力で、充実した記事を、ブログに書き記している政治家は、自民党では、彼か、河野太郎さんくらいしか見当たらない。
ブログ「中川秀直オフィシャルブログ」の最新記事で、中川さんは、こう、コメントされている。
以下引用
河野氏は、森喜朗元首相ら党の重鎮を名指しで批判し、徹底した世代交代を訴えた。
議員の中には、過激な批判に眉をひそめる向きもあった。これに対して谷垣氏は、従来の党内秩序の激変はさせないというメッセージを発した。
谷垣氏を選んでおけば、世代交代の歯車が極端に回ることはなさそうだし、党内の混乱も避けられる。そんな安心感が支持を呼んだのだろう。
だが、党内秩序を根底から揺さぶるほどの大手術なくして、果たして今の自民党を立て直すことが可能なのだろうか。
河野氏に対して草の根党員たちが3割超の票を寄せたところに、そうした危機感が表れている。
党の変革より当面の安定を優先したツケは、新総裁が払うことになる。
来夏の参院選挙に向けて、有権者に『自民党は変わる』と納得させることができるかどうか。まずは、党執行部の人事で鮮明な姿勢を見せる必要があるだろう。
中堅・若手を抜擢し、派閥への配慮を抜きにした大胆な登用を考えねばなるまい。
政策の軸も再構築を迫られている。これまで自民党にとって『政権維持』が何にも勝る価値基準であり、霞が関の巨大な官僚機構がそのための具体策を練ってきた。
その政権を失った今、自民党は自らの存在目的、アイデンティティーを再定義しないと、民主党政権への対抗軸を定めるのは難しい。
谷垣氏は、行きすぎた市場主義を戒め、家族や地域社会の結びつきを大切にする『絆』の理念を訴えている。鳩山首相の『友愛』とどこかどう違うのか。その差異を際立たせることができなければ、もともとの保守層の支持も失いかねない。
野党としての主戦場は国会だ。政権の誤りを突き、説得力のある対案をぶつけなければならない。これまでのように官僚機構を頼るわけにはいかない。政策立案能力が問われる。谷垣氏は政策に明るいベテラン議員を国会質問にたてる方針を打ち出している。
建設的な政策論争は歓迎だが、『変わる自民党』を印象づけるには清新な人材を育てる努力も欠かせない。全員野球の結束だけで再生への展望は開けまい。『変革』への本気をどう見せるか。それが谷垣新総裁の最初の課題である」
以上引用終わり
まさにポイントをついた指摘である。
これからの自民党の立ち位置は、民主党の対極に立つのではなく、民主党のすれすれ右側に立ちながら、そのすれすれ複層マーケットに位置する有権者の共感を得ることからはじめることが必要であると思う。
そして、そこをコアにしながら、在来支持基盤マーケットの再生・修復につとめていく、ということなのかもしれない。
そのすれすれマーケットに位置する有権者たちとは、従来の業界経由ではなくて、政治とのダイレクトな結びつきを求めているが、民主党には満足できない有権者たちであり、民主党に対極する力がないと政治がよくならない、と感じているひとびとである。
すくなくとも、谷垣さんの言われる「がんばっていこうぜ」的な生ぬるい絆に満足しうる有権者たちではないことは確実だ。
新保守の政治的マーケットは、まだ確実に存在しているのである。
そのマーケットを切り開ける政党は、何も、自民党だけではない、という危機感をいまの自民党自身、どれほど持っているのか、はなはだ疑問だ。
自民党がそのマーケット確保にてこずっているうちに、第三極の新保守が生まれうる可能性は大きいと思う。
ひょっとして、その第三極は、いまの民主党をも凌駕できる可能性を持ったものかもしれない。
2009年9月29日
このサイト
「S氏の相場観:円高の原因が曲がっている」は、相場屋さんの見方だけに、面白い。
こんなストーリーを想定している。
ドルを刷る→
米国債を大量に発行する→
増刷したドルで米国債を買わせる→
10月末で、FRBは、ドルの増刷をやめる→
米国債は値下がり→
金利上昇→
利払い増加→
ドル売り激化→
日本がどの水準まで、ドル売り円買いを許容できるのか、試す→
結局ドル円は、70円台にまで円高
以上がS氏のアメリカ経済への見方だが、この見方を裏付けるような記事が、今日のブルームバーグのサイトに載っている。
「U.S. Needs Strong Dollar to Aid Recovery, Forbes Says 」で、ここでは、フォーブス社長のSteve Forbes氏の以下のような見解を乗せている。
すなわち、アメリカは、もっと、「強いドル」政策を打ち出さないと、強い景気回復はできないであろうということを述べ、特に、中小企業の景気回復は、いまだしであるといっている。
オバマ政権は、強いドル政策こそが、正攻法の政策であることを知るべきであるとしている。
その点に関しては、オバマ政権は、なんらの政策も採っていないと指摘している。
世銀頭取のぜーリック氏までもが、今日は、ドルだけが世界の基軸通貨と考えてはならないなどといっている始末だ。
Steve Forbes氏は、ドルの安定のためには、まず、財政赤字の縮小が必要であるとしている。
そして、もし、FEDが、財政赤字にファイナンスするために紙幣を増刷することをやめるならば、ドルは安定するであろう、としている。
マーケットがドルを避けるのは、オバマ政権がドルを安定させることに関心がないからだという。
このことは、世界にとっても悪いことであるとしている。
そこで、大企業であれば、多彩な資金調達ができるのに、中小企業には、それができないというネックを解消するためには、どうしたらよいのか、ということについて、Steve Forbes氏は、次のような提案をしている。
すなわち、FEDは、今のように、米国債を買い上げるのではなく、その代わりに、証券化市場におけるローン・パッケージを買い上げることによって、それらを再び機能できるようにし、小規模企業融資や、クレジットカードのような消費者金融や自動車ローンの再機能化につとめることであるとしている。
なるほど考えさせられるSteve Forbes氏の原点復帰論だ。
強いドルをオバマ政権が志向すれば、日本の財務大臣も、余計なことを言わなくてすむのだろう。
2009年9月28日
それにしても、ひどい円高ですね。
日本の財務大臣が、G20の場で、不用意な発言を繰り返したせいも、かなりありますね。
いま、日本の財務当局がすべき認識は、「円高なのではなく、ドル安なのである」ということ、
「ドル売り先にありき」であるということ
「ドル・キャリー先にありき」ということ。
そして、「ドル安がポンド安に連鎖しつつある過程である」ということを、よく認識する必要があるんではないんでしょうか。
そしてこれに続くのは、各国の追随通貨切り下げ競争です。
これはいつか来た道、藤井さん薀蓄お得意の大恐慌へのみちですよね。
となると、日本の財務大臣は、本来なら「円高は、ドル安のコインの裏表(Flip-Coin)である。」ということにして、変形のビナイン・ネグレクト(Benign Neglect)という立場で、ドル安への受身の態度をとっていればいいものを、G20の注目される場で、一回ならず、二回も、「為替介入はしない」などという余計なことを言うのは、アホ以外の何者でもないと、私は思うんですけどね。
(まあ、選挙の残債整理のために、民主党関係者に、FX取引で、ドル円のショート・ポジションを推奨しているのなら、話はわかりますがね。
もしそうだったら、今頃はポロ儲けですよ。これらの関係者たちは。
官僚非依存、政治家主導ってのは、このようなことになっているかもしれない、政治家ならびに関係者によるインサイダー取引へのチェック機能がまるでなくなってしまうということですね。恐ろしいことです。)
第一、今のドル円市場ってのは、5%位のものなので、余計なことをいうと、今日のように投機筋に敏感に響いてしまう。
藤井さんの昔の頭で認識しているであろうマルク、円、ドル三通貨拮抗の時代は、いま、もはやすでになく、ドルの流通量が90%以上の時代なんだから、円がどうあろうと、ドルが何とかならなければなんともならない時代である、という認識が、藤井さんには足りないんではないでしょうかね。
藤井-行天感覚では、もう、古いんですって。(行天でなくて、仰天ですよ。これじゃあ。)
余計なことを言わないことこそが、日本経済をこれ以上悪くさせない、最良の策なのです。
で、
ドル安→アメリカの金利は動きうるが、日本の金利は動けない→ドル・キャリートレードのオンパレード
という構図がすでに出来上がっているのかも知れません。
つまり、現在の状況は、ドルの独歩安に対する投機的な円買い、という構図です。
まず、最初にドル安あり、したがって、ドル・キャリーあり、
そのあと、では、ドル・キャリーで、ドルを売ってどの通貨を買おうか、という選択で、円が選ばれる、っていう構図ですね。
で、従来ならば、ここでえらばれる通貨は、高金利国通貨なはずなのですが、ここで、どうして、低金利先輩国の日本の円が選ばれるか、ということになるのですが。
円は、依然として、これ以上金利を引き下げられない非負制約を持った通貨、と言う意味では、低金利通貨の中でも、もっとも、低金利安定度がある通貨とみなされているんじゃないんでしょうかね。
つまり買った後もブレがない、っていう意味で。
これが、まだ金利引下げの余地がある他の国の通貨であれば、平価切り下げで、その防御にあたられる可能性もある。
さらに言えば、日本は、実質金利(Real Interest Rate )では、デフレのマイナス1.2パーセントが功を奏しているので、必ずしも、絶対的な低金利国ではないのです。
(実質金利=名目金利-インフレ率
アメリカ4.0パーセント、
日本2.7パーセント、
ドイツ3.1パーセント、
フランス3.5パーセント、
イギリス2.1パーセント、
イタリア3.4パーセント、
カナダ2.8パーセント
参考「REAL INTEREST RATE FORECASTS」)
つまり、こうしてみると、一連の藤井さんの発言は、投機筋に、円買いの大義名分を与える一定の効果を持った発言ということになりますね。
28日の朝日新聞には、こんな記事も、
「藤井裕久財務相の円高容認の発言には憤りを感じる。「民主党は大衆受けするバラ色の話をしてきたが、長期的に見て大丈夫なのか。日本経済がめちゃくちゃにならないよう、国の財政のトップなら発言に気を付けてほしい」 」
2009年9月27日
私が毎月読んでいる雑誌で「レコード芸術」というのがある。
以前は、自分で購入していたが、雑誌がかさばるので、読み終わったあとの処理に困るなどの理由から、このごろでは、この雑誌を置いている喫茶店に、毎月発売日ころの16日過ぎあたりに行っては、読むばかりとなっている。
その月に発売されるクラシックのCDやDVDなどの推薦盤評が中心だが、なかに、ウイーンに住んでいる日本人の音楽評論家のウイーン便りなんかもあって、毎月楽しく、読ませてもらっている。
ただ、この雑誌、まさに、絶滅危惧種的なもので、雑誌の廃刊が近時たえまない業界で、よく生き残っているものだと、感心する。
この雑誌の購読者には、私のようなオーディオ・マニアも含まれているので、オーディオの機械について触れた記事も多い。
そのなかに「寺島靖国の武蔵野オーディオ目録」という、1ページもののコラムがある。
筆者の寺島さんは、吉祥寺で「メグ」という音楽喫茶を経営されていて、ここのメインのスピーカーは、ウン千万円もする「アバンギャルド」という、ホーン型スピーカーの名機である。
その寺島さんが、「レコード芸術2009年10月号」で、場違いな話題として、中川昭一さんのことについて、その再起待望論を書かれている。
こんな具合だ。
以下引用
テレビを見ていたら、落ちた議員の中川昭一さんがメシを食っていた。
議員というのはどんなものを食うのかと思ったらサンマである。黙っているのもどうかと考えたらしく「今の季節はやっぱりサンマだねぇ。」などとモソモソ言っている。
それにムリがあって、可笑しかった。憎めない男である。私は好感を持っている。色男ぶりもいいし、品があって政治屋という感じがしない。
酔っぱらいぐせぐらい可愛いものである。
近頃少し本格的に酒を飲み出して酒飲みの気持ちをわかり出した私だが、ああいうトロンとした酔い方はユーモアがあって悪くない。
日本国民は正義の味方、黄金バット(古いね)だから、ローマの酔っぱらい会見を、ここぞとばかり叩いた。水に落ちた犬に石を投げる塩梅だ。
世界の人々は、日本にも、オモロイ人物がいるじゃないか、朴念仁ばっかりじゃないんだ、気に入った、などと、日本人を見直すんじゃないか。
ああいう人物は、政界に置いておいていい。
落とすべきは******」
以上引用終わり
私も、この寺島さん同様、中川昭一さんには、ぜひ再起してもらいたいものだと思っている。
それに、あの例のライブの記者会見、こっちのほうが慣れたのか、あんまりおかしなことは、言っていないことに気がつく。
露骨に円高誘導発言(おかげで、来週には87円台にまで行ってしまうという専門家の見方も)をして、「ひょっとして、身近に、FX取引マニアがいて、ドル円ショートのポジションで、稼がせているんじゃないの?」なんて勘ぐりをいれたくなるような某国財務大臣より、よっぽどましだと、私は思うのですが。
2009年9月26日
前原誠司国土交通相は26日、川辺川ダムのような大型公共工事を中止した場合に、地元住民に対する新たな補償とその裏付けとなる財源措置を含めた法案を来年の通常国会に提出する考えを明らかにした。
というのだが、このような従来スキームでの上塗りでは、新たな不公平を地域に生みかねないことになる。
すなわち、ダム除去対策にも、持続可能型の新スキームが必要というわけだ。
むしろ、ここは、ミチゲーション・バンクの手法を使ったほうがいいと思われる。
ミチゲーション・バンクの手法については、私のサイト
「日本にミティゲーション・バンキングは可能か」をご参照
ちなみに、アメリカのノースカロライナでの「ダム・リムーバル・プロジェクト」(Dam Removal Projects )では、このミチゲーション・バンキング手法を使っている。
もっとも、すでに環境破壊をしてしまったプロジェクトについては、ミチゲーション・バンクでは、すでに、大量のデビット(DEbits.喪失する生態系の価値)を、費消してしまっているオーバー・ローン(デポジットなしでのウイズドロー過大という意味だが、銀行勘定からいえば預け金勘定となり、貸方・借方逆になるので、、ある意味、オーバーボローかな?)のミチゲーション・バンクとなってしまうのだが。
新たに生まれだす生態系の価値(Credits)は、政府保証でまかなうしかないのかな?
環境国債なるものを発行して、スワップという手法もありうる。
あるいは、「ミチゲーション基金」のようなものを設け、政府が一定の誘い水的なファンドを、とりあえず積み上げておく、という手法も考えられる。
2009年9月25日
ピッツバーグでのG20には、WTOのラミー事務局長も出席して、各国首脳に対して、ドーハラウンドの決着期限(デッドライン)を設けるように要請する予定だが、これに対してアメリカが抵抗しているようだ。
これに対して、EUとブラジルとオーストラリアは、モダリティによって、正式な決着期限を設けることを要請している。
アメリカがここにきて、抵抗している理由は、ひとえに、アメリカ国内議会の事情によるようだ。
すなわち、2010年内にというようなぼんやりとした期限設定でないと、議会が収まらないということのようだ。
特に、アメリカ国内の農産物輸出関連業界では、年内急に、農産物価格支持がカットされたり関税がカットされる事態を恐れているという。
このことは、保険会社や運送会社などのサービス関連業界も、同様だという。
インドは、ドーハラウンドの締切期限をモダリティに織り込むことには賛成のようであるが、それは、主要国が、柔軟な姿勢を示すことにかかっているという。
USTRでは、米国が柔軟な姿勢に転じるためには、主要国との直接二国間交渉が鍵を握っているといっている。
参考
「US resisting early Doha round deadline」
農業関係交渉
9月30日-10月2日
10月12日-10月16日
11月16日-11月20日
12月7日-12月11日
シニア・オフィシャル会合
10月19日-23日
11月23日-11月27日
12月14日-12月16日
ゼネラルカウンシル会合
10月20日-10月21日
シニア・オフィシャル再会合
12月17日-12月18日
第七回閣僚会合
11月30日-12月2日
以降
来年3月まで技術的な煮詰め
来年12月
合意完了
参考
「The Doha Round Completed by the End of 2010」
2009年9月21日
マニフェストは所詮、選挙向けの浮世絵的存在だ。
いわば、ドットの荒いプリンターでえがかれたデザイン図のようなものだ。
現場からのフィードバック回路を欠いた、ある意味、一方的なものでもある。
マニフェストに掲げられた内容に、さらに、フィージビリティ・スタディを加えて、さらに、それに、現場からのフィードバック回路をも加えて、行政が咀嚼・嚥下しやすいものに加工しなおさないといけない。
そうでないと、支持された票を失うまいと、その粗雑なマニフェストを律儀に守ろうとする政党も、その律儀に守られることでマイナスの影響を受けうる国民も、行政も、不幸になるばかりだ。
そのためには、マニフェスト・オブ・マニフェストというようなものが必要な感じがする。
ここいらで、マニフェストのスキームにこだわられる北川正恭さんを含めて、マニフェスト・スキームの再検証とマニフェスト・オブ・マニフェストのスキーム構築が必要な時期のようにも思える。
いわば、狂気のマニフェストから国民が逃れうる、サーキットブレイカー(回路遮断器)の構築が必要なのだ。
バイエルン王で、狂王と称せられたルートヴィヒ2世は、騎士伝説を実現すべく、ノイシュヴァンシュタイン城などを次々と立ててきたが、晩年は、それによる国家財政の疲弊で、「神経を病んだ王」として、世間から退けられ、最後は、シュタルンベルク湖畔で死体となって発見されたが、その知らせを受けたエリーザベト皇后は「彼は決して精神病ではありません。ただ夢を見ていただけでした」と述べたという。
(私もこのノイシュヴァンシュタイン城の中に入ったことがあったが、上の階に行くごとに、彼が引きこもりに使ったのか、妙な穴ぼこのようなものがたくさんあって、気味の悪い思いをした。彼は、閉所恐怖症(Cave Claustrophobia)の反対の閉所快感症(voluntary shut-in)だったんだろうか?)
彼ルートヴィヒ2世にとっては、この騎士伝説(Knights and Chivalry)が、彼にとっての夢であり、かつ、マニフェストだったのだろう。
もし、この狂王にいまどきのようなマニフェストをもたせたら、彼は、それをいいことに、もっと、城をつくり続けていたに違いない。
つまりは、世間的な支持と、そのマニフェストの中身とは、必ずしも、一致はしない、ということである。
それを勘違いし、世間的な支持で、マニフェストが支持されたのごとく、教書を振り回しているのが、今の民主党政権だ。
このように、マニフェストは、反面、別の狂気への認知されたアクセレーターともなりうるものなのだ。