笹山登生のウォッチ&アナライズ –


2009年12月30日

天国の阿波根さんの怒りを買うであろう普天間の伊江島移設論

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama – 5:50 PM

民主党の小沢一郎幹事長が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の新たな移設先について、沖縄県内の離島(同県内の米軍伊江島補助飛行場(伊江村)、下地島空港(宮古島市))を軸に検討する考えを与党関係者に伝えていたことが12月29日、分かったというのですが、沖縄の反戦の歴史を知ったものであれば、このようなことは、とても、けっして軽々しくはいえないでしょうね。

なぜなら、伊江島は、沖縄のガンジーともいわれる、今は亡き阿波根 昌鴻(あはごん しょうこう )さんの原点の島であり、この阿波根さんの精神を受け継いで、現在の辺野古の反対運動の原点があるからです。

辺野古テント村には、原点の戒めのために阿波根さんの写真が掲げられていると聞いています。

つまり、辺野古と伊江島は、阿波根さんの精神を基盤にして、両者つながっているのです。

それをご存じなくて、このようなうかつな言葉を吐かれるのは、辺野古の反対運動者にとっても、迷惑な話ですね。

阿波根さんが、このニュースを知られたら、天国から怒り狂われるでしょうね。

伊江島は、沖縄への占領軍が、3月に座間味島と渡嘉敷島を制覇してから、4月16日に攻め込んだ島です。

座間味島・渡嘉敷島に劣らない、すさまじい激戦が島内で繰り広げられ、アメリカ側にも犠牲者が出ました。

その象徴的な存在が、アーニー・パイルという従軍記者の戦死で、伊江島の中には、周囲の光景にそぐわなくも、日本人にとっては不快にも思われる、立派な記念碑が建てられています。

その一方で、ガマと呼ばれる壕での日本側の犠牲者の厚生労働省による収骨作業は、いまだに終わっていない状況のようです。

阿波根さんは、敗戦後、伊江島の土地の約六割が米軍に強制接収された際、反対運動の先頭に立ちました。

「伊江島土地を守る会」の会長を務め、1955年7月から1956年2月までのあいだ、沖縄本島で非暴力による「乞食行進」を行い、米軍による土地強奪の不当性を訴えました。

これらの経緯については、このサイトに詳しくのっています。

その沖縄の平和運動の聖地ともいえる伊江島に普天間の移設だなんて、沖縄の歴史を知っていない政治家の思いつきの考えにもとづくもの以外の何ものでもないのではないでしょうかね。

本当に、歴史を知らない馬鹿なことを言われるもんです。

数年前(2005年10月21日)にも石原東京都知事が「伊江島なんてのは普天間の割と近くで、滑走路が二本もあってほとんど使っていない」と発言され、現地から猛反発をうけた経緯もあります。

このとき、伊江村長は「伊江島は沖縄戦で焦土と化し、なお基地を背負いながらSACO合意でパラシュート訓練を受け入れた。発言は、伊江島の歴史や痛みを知らず、自分の都合(横田基地の問題)で基地を小さな島に押し付けようというもので迷惑千万」といわれ、また、伊江村議会議長は「村、村議会はこれ以上の負担は受け入れられないと普天間移設反対で一致している。なぜ都知事が伊江島に移設などと無責任に口を挟むのか」といわれていました。
参考「伊江島へ移設“推進” 県内から反発の声 石原都知事

阿波根さんについては、私のサイト記事「もう一面の阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう)さん」もご参照ください。

私が伊江島を訪問した時は、まだ、阿波根さんはご健在で、島にある自宅敷地内に反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」(「命こそ宝」という意味)をたて、若い人たちの共感も得て、平和活動を続けられていました。

阿波根さんの晩年なりご最後は、これらの若い人たちに囲まれてのものであったとも言われています。

このサイト「第5回平和ツアー~伊江島篇~報告」で見るように、現在の辺野古の反対運動者のかたも、しばし、伊江島を訪れて、阿波根精神の再確認をされていたようですね。

つまり、辺野古も、阿波根さんの伊江島も、反戦とジュゴンという同じキーワードでつながっていることを、小沢一郎さんをはじめとした民主党の政治家は、うかつにも知らないのですね。

「空いた空港跡地があるから、ちょうど、いいじゃないか。」というような乱暴な考えで、このような言葉は、おそらく発せられたのだと思います。

nullたしかに、伊江島には、空港の跡地があるのですが、私は、この空港の跡地(旧中飛行場、伊江島補助飛行場)をレンタカーで走ってみましたが、でこぼこで、とても、スピードを上げられる代物ではありませんでした。

また、島の東部に城山(タッチュー、海抜172m)があるので、専門的なことはわからないが、飛行機の進入路は、限られているようなのだが。
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nullなお、もう一方の下地島への移設案についてですが、下地島空港の利用方法については、飛行場設置に当たって1971年(昭和46年)に日本政府(丹羽喬四郎運輸大臣)と当時の屋良朝苗琉球政府行政主席との間に交わされた「屋良覚書」があります。

これについては、「finalventの日記」にくわしくのっています。

内容は下記のとおりです。

下地島飛行場は、琉球政府が所有及び管理を行い、使用方法は管理者である琉球政府(復帰後は沖縄県)が決定する。
日本国運輸省(現・国土交通省)は航空訓練と民間航空以外に使用する目的はなく、これ以外の目的に使用することを琉球政府に命令するいかなる法令上の根拠も持たない。
ただし、緊急時や万が一の事態のときはその限りではない。

この屋良覚書を受け、沖縄県議会では、1979年に「自衛隊機等の軍事利用をさせない」との付帯決議(沖縄県議会土木委員会での付帯決議)が採択されています。

1979年の沖縄県議会における付帯決議派、下記のとおりです。

下地島空港は、民間航空機のパイロット訓練、及び民間航空機に使用させるとし、自衛隊等軍事目的には使用させないこと

この屋良覚書とそれを受けての沖縄県議会での付帯決議の存在こそが、これまで、下地島空港の軍民共用化の足かせになってきたのです。

nullそれと、行って見られればわかりますが、下地島は、独立島ではなく隣の伊良部島とは、水深2m~4m、幅40m~100m、長さ3.5km程の水道域をまたいで、6つの橋でつながっており、事実上,伊良部島と下地島とは一体のものとみなされます。
左記の写真でみれば、飛行場の右側が伊良部島部分で、その間の水溝部分が、下地島と伊良部島とを分ける水道域です。

また、宮古島ともフェリーで行き来(定期連絡船で約15分)できるほどの近接距離にあり、2012年には、伊良部島と宮古島とを結ぶ伊良部大橋(本橋部分3,540m)が完成する予定です。
(行政区は宮古島市、人口 は(伊良部島)約6800人 (下地島)約75人; 周囲 は(伊良部島)約26.6km (下地島)約17.5km; 面積 は(伊良部島)面積 約29.7k㎡ (下地島)約9.5k㎡; )

ですから、基地誘致は、下地島単独での問題とはなりえません。

それと、沖縄本島と異なって、まさに、台風銀座の真っ只中にあり、2003年9月11日の台風14号(風速74m)では、伊良部島に近い宮古島の池間島側の西平安名崎の風力発電の3基の発電所のうち2基は倒壊、1基も羽が飛ばされ支柱のみ残ったというような被害が発生するほどのものです。

私が行ったときは、岬の新しい景観として、これら風力発電の塔の連なりがまぶしく見えていたのですが、程なくして、このようなことになってしまい、後に、琉球大学のコンクリート工学専門の先生にお会いしたのですが、その塔のもろさに、専門家である教授もびっくりされていました。

環境資源的にも、辺野古におとらず、近く(西平安名崎の裏側であり、池間島の先に当たりますが)には、旧暦の3月3日に出現する幻の大陸として有名な八重干瀬があります。

このほか、下地島は、数年前、カジノ構想での地域おこしでゆれたり、自衛隊誘致でもめたり、USENのリゾート計画がでたり、と、いろいろの地域おこし構想に翻弄された島でもあります。

地域おこしをしたいのだが決め手がない、という、弱みを抱えた島であるともいえます。

社民党の福島党首が、これらの移設案に対して、反対はしなかったというのですが、これらの過去の経緯をご存じでいわれているのか、ちょっと疑わしくなってきました。

社民党党首の福島さんが屋良覚書の存在を知らないはずはないでしょうから、それを承知で下地島移設案にはっきり反対の意思表示をしないのは、なぜなのでしょう?

これも参議院選挙までの時間稼ぎでしょうかね。

票稼ぎに使われる沖縄県民が、これでは、かわいそうです。

最後に、阿波根さんの残した歌を記したいとおもいます。

ちなみに、私が以前上記のサイト記事を書いた後に、ある音楽家のかたから、この歌をCDにしたものを送ってきたことがありました。

《花は土に咲く。》

アメリカぬ 花ん 真謝原ぬ 花ん 土頼てぃ 咲ちゃる花ぬ美らさ・・・・

アメリカの花も伊江島の花も土が頼りで咲いている。花の美しさよ。

参考

「「伊江島か下地島に」普天間移設先で小沢氏が与党関係者に意向」

下地幹郎さんの「新嘉手納統合案」

シリーズ「嘉手納統合案の真実」(全4回)第4回「1+1=0.5 新たな新嘉手納統合案」より

普天間飛行場を嘉手納基地に統合して「騒音その他が今以下になる」という考え方は、私がかつて申し上げていた新嘉手納統合案の考え方そのものであります。

現在の嘉手納基地の離発着回数は約7万6千回、普天間基地の離発着回数は約3万回であります。これが、新嘉手納統合案によって、嘉手納基地の離発着回数が10万回に増えたら意味がありません。また、現状と同じ7万回であっても意味がありません。現状の半分、3万回から3万5千回に激減するものでなければならないのです。

そのためには、嘉手納基地所属のF15の2つの戦闘部隊のうち、第44戦闘中隊(24機)を岩国基地や三沢基地、グアムなどへ移動させ、7万回の離発着回数のうち3万回以上ある外来機の訓練を嘉手納以外の地域、例えば伊江補助飛行場や、稼働率が悪い関西国際空港のB滑走路、静岡空港、佐賀空港といったような本土の空港に移すなどすれば、離発着回数の半減、つまり騒音の半減は十分可能であります。

「1+1=2」ではなく、「1+1=1」でもなく、「1+1=0.5」というのが、私の提案する新嘉手納統合案なのです。そして、沖縄がこれから先もずっとこの米軍基地負担を背負うことのないよう、15年という期限を設け、日本政府と沖縄県で覚書を交わす。そのことで、普天間飛行場の危険の除去は、沖縄の美しい自然環境を壊すことなく実現できるのです。

大事なことは、普天間飛行場を嘉手納基地に統合する前に、嘉手納基地周辺の騒音を確実に軽減することであります。現状で「騒音を0.5(半減)にします」といくら言ったところで、周辺住民はじめ、誰しもがすぐには信用しないでしょう。普天間飛行場の嘉手納基地への統合に先行して、F15の移転や外来機の移転が行われ、実質的に騒音が軽減されることを実証する。騒音の半減が信用できるか出来ないか、それを実績で示し、周辺住民が納得するのであれば、嘉手納統合案に賛成すればいいのであります。

参考 昭和54年4月18日の衆議院決算委員会における玉城栄一議員(公明党)の下地島に関する質疑

「第087回国会 決算委員会 第7号」より

○玉城委員 先ほども大臣がおっしゃいましたとおり、この近距離という問題については重要な課題であるというお話がありましたけれども、近距離という常識的な範囲というものは大体わかるわけでありますから、それを明瞭にぜひ公正に御検討をいただきたいと思うわけであります。
そこで、次の問題に移りますが、これは七月一日開港予定になっております沖繩県の下地島パイロット訓練飛行場の問題についてであります
この訓練飛行場はパイロットの訓練を目的に国費約百四十億、沖繩県費約五十四億を投じて今日まで建設が進められ、本年七月ようやく開港の運びとなる予定になっておりますが、開港を間近に控えてさまざまな問題が山積しておるのであります。そこで、この問題についてこの際運輸省の姿勢、またその基本的な考え方、並びに本日はユーザーの代表として日本航空の責任者に御出席をいただいておるわけでありますが、この下地島訓練飛行場の今後の運営のあり方、使用のあり方あるいは今後の計画等について、確認をしながらお尋ねをしてまいりたいと思うわけであります。
そこで、この下地島訓練飛行場は、そもそも昭和四十年の行政管理庁の勧告、すなわち「訓練専用の飛行場の確保に努める必要がある。」と運輸省に勧告したことがきっかけとなり、その後航空審議会の答申、航空会社の要望等もあって運輸省も本腰を入れてその用地を探し、最終的に沖繩の下地島に白羽の矢が当たり、昭和四十六年八月、運輸大臣、総理府総務長官、当時の琉球政府行政主席の三者の合意により、つまり県営、非公共、収益性の三点の合意をもって決定され、昭和四十八年六月十八日の設置告示となったわけであります。ところが、開港が近づくにつれて管理者である沖繩県は管制、無線、気象という業務を独自で行うことの困難性とその他主として財政上の理由から、当初の非公共飛行場から公共飛行場への転換を余儀なくされたのであります。私は、この点についていささか疑問に思う諸点がありますので、以下数点確認をいたしておきたいと思います。
まず第一に、そもそもパイロットの訓練というものは第一義的には民間である航空会社がその負担において行うべきものであり、それがわが国航空政策上どうしても必要不可欠のものであれば国がこれを行うべき性格のものであると私は思います。運輸省の基本的な考え方をお伺いしたいと思います。

○松本(操)政府委員 事業用あるいは定期運送事業用のパイロットの養成訓練というものにつきましては、いま先生がおっしゃいましたように、第一義的にはそれぞれの事業者の責任において行うというのがたてまえであろうかと思います。ただ、航空関係のエンジニア、特にとりわけ操縦士というものは高度の技術、訓練を要することで仏ございますので、その初歩的な段階におきましては、御存じのように航空大学校等におきまして基本的な訓練をするということはきわめて前からやってきておるわけでございますが、すでにある程度の技術を習得した以上の、現にラインのパイロットあるいは事業者のパイロットとして活躍しております人たちの訓練、こういう問題についてはそれぞれの事業者の責任において行うというのがたてまえであろうかと考えております。

○玉城委員 いま局長は、そういう事業者の責任、そして国の責任ということが第一義的に考えられるというお話であります。私もそのとおりだと思うわけです。これを地方自治体がパイロット訓練用の飛行場でそういうパイロット訓練をやるという以前に、やはり第一義的には航空会社であり、国、国策という立場からそこに当然責任の比重はかかってくると思うわけであります。
そこで、このパイロット訓練飛行場は、経過を見ますとそういう実態にはなっておらぬわけであります。特に財政上の問題において、沖繩県にその責任を押しつけ傍観してきたと言っても過言ではないというのが実情ではないかと私は思うわけであります。
そこで、まず一番目の問題は、管制、無線、気象という三大業務に要する費用は、非公共事業であれば国は出さないというのが空港整特別会計法上の一般的な解釈であろうかと思います。したがって、設置者たる沖繩県が独自でこれを行わなければならないということになってくるわけですが、果たしてそう言えるかどうか。
この訓練飛行場に関して、そもそも下地島訓練飛行場は非公共であるにもかかわらず、空港整備特別会計法附則で「当分の間、」特会から補助金を出すことになっており、これは設置に要する費用という範囲はあるものの、その精神は沖繩振興開発と訓練飛行場の設置という国家的政策にかんがみ特会から補助金を出すという法的措置がとられてまいったわけであります。
しかるに、空港整備特会のたてまえを振りかざして、国はもうこれ以上一切の負担はしないとして突っぱねてきたこれまでの運輸省の姿勢は、どうしても納得ができない。この点のお考えを簡単にお聞かせいただきたいと思います。

○松本(操)政府委員 先生おっしゃいますのと私の申し上げる点、多少食い違うかもしれませんけれども、当時の琉球政府から訓練空港についてのお話がございました時点において、先ほど申し上げましたようにパイロットの養成は事業体の責任とは言いながらも、しかし国としても相応の援助を当然すべきでもございますし、さらにはこのプロジェクトが当時の琉球政府の一つの支援にもなるのではないか、こういうふうな考え方もありまして、したがっていまるるおっしゃいましたように空整特会法上に特に附則の十三項を設けまして、その中で空港の建設に関する部分については空整特会の中から金が出せるようにした。これは一つは、およそ空港というものの補助をいたします場合に財源をあちらこちらに置きませんで、一本化して空整特会で行うという考え方に統合したという便宜上の問題もございましょうけれども、しかしその裏には、いま申し上げたような趣旨があったものと理解をしております。
そのようにしてやりました後で、どのようにこの空港を使うのかという点につきましては、当時は管理会社というものをつくってその管理会社が一括して無線施設等についてはめんどうを見るかどうか、あるいは県が直接的におやりになるかどうか、そこら辺の詰めは必ずしも十分にはできていなかった、いまにして考えれば必ずしも十分ではなかったということは言えるかと思いますけれども、スタートの段階ではともかく建設に関する部分について一〇〇%の補助をしていこう、こういう形でスタートする、その方法として空整特会法の附則の十三項というものが設けられた、こういう経緯であったと思うわけでございます。
ですから、これを盾にとって云々ということでは決してございません。スタートのときからそういう形で実はスタートをしておったわけでございまして、その後、実際の運営についての的確なかつ具体的な見通しが多少ぬるい点があったのではないか、われわれの側にもあるいは県の側にも。当時は琉政であったわけですが、その後すぐ県に変わったわけで、県の側にもそういった具体的な実務面についての配慮というものが多少甘い点があったかもしれません。われわれの方にもあっただろうと思います。しかし、それは決して空整法があるからどうだこうだ、こういうことではございません。非公共用という形であります以上、そういうふうな形におのずからならざるを得ない、そういう枠組みの中での議論であったわけでございますので、その中で何らかの打開策はないかということで私どもずいぶん県の方と御相談を申し上げたわけですが、諸般の事情があってなかなかその案が具体化していかなかったという点は、先生御案内のとおりかと思います。

○玉城委員 両方あいまいなままに訓練飛行場ができ上がって、開港間際になりまして具体的な問題で追い詰められたかっこうになりまして、結局いろいろな問題が出てきたわけであります。
そこで、これも運輸省に申し上げたらお困りになるのじゃないかと思うのですが、昭和四十八年の六月十八日に非公共という形でこの飛行場は設置告示をしておられるわけですね。しかも設置許可に当たって航空法第三十九条の一項四号では「申請者が当該飛行場又は航空保安施設を設置し、及びこれを管理するに足りる能力を有すること。」とあるわけですね。ところが、沖繩県においては、以前はもとより現在においてもこれらの管制、無線、気象という三大業務の能力を有するには至っておらないと思うわけですね。しからばその沖繩県から非公共飛行場として許可申請がなされた際、どうしてその能力があると認めてそういう許可をされたのか。であれば、そのオーケーをした資料と申しますか判断した資料を運輸省は当然判断材料として持っておられたと思うのですが、その点はいかがですか。

○松本(操)政府委員 先ほどのお答えでも私ちょっと触れたわけでございますが、スタートの段階では設置した後の維持管理、とりわけ無線施設等の問題につきましては県当局といろいろお話し合いをいたしました。その告示を出すに当たっていろいろな話し合いをしてきました段階で、管理会社というものをつくってその管理会社が全面的に実施をする、それに要する費用は訓練の経費の中から徴収をする、こういう形で管理会社は自営できるはずである、これでいこう、こういうことであったのは間違いのないところであったと記憶をしております。
ただ、先ほども触れましたように、具体的に管理会社をどういう形でどうして動かしていくのかという細かな詰めの点について、いまにして考えれば、いま一歩二歩の詰めが甘かったのかなあという気はいたしますけれども、その時点におきましては、何回かお話し合いの過程において、そういう形で運営ができる、これでやっていこうではないかということにお互い合意をした結果として非公共用の告示を出した、こういう経緯でございます。

○玉城委員 そういうところにも問題がありまして今日に至ってきているわけであります。過去のこういう問題、過ぎ去ったことでもありますけれども、しかしこの経緯、いきさつを見ますときに、運輸省は非常に冷たい。これは申し上げる時間もございませんのでなんですが、したがってそういうことで、県は従来のような性格でこのパイロット訓練飛行場は財政的にもう維持できない。五十四億という、県財政を強烈に圧迫をして支出をし、その償還が始まっているわけですから。
そういうことで、運輸省の指導もあったと思いますが、従来の非公共、収益性を転換をして、いわゆる空港整備法に基づく公共用第三種空港に切りかえ、去った三月の二十七日に、県の方ではそういうふうに切りかえて運輸省に申請がなされていると思うわけです。これとても、パイロットの訓練、養成を主たる目的とする訓練飛行場を、空港整備法による第三種空港として位置づけることは、本来の趣旨からなじまない面もある感じがするわけですね。第三種空港といえば「地方的な航空運送を確保するため必要な飛行場であって、」云々という性格があるわけですが、これはパイロット訓練を主たる目的でできている飛行場であります。したがって、その空港整備法に基づいて公共用第三種空港に県としては持っていきたい、そうしないと維持できない、管制あるいは無線、気象、そういうものは自治体でできないわけですから。また、今後の維持管理等を考えたときには、空港整備法に基づいて、国のバックアップに基づいてやっていきたいということなんです。それで、この第三種空港に、本来的な意味のものになじまない。したがって、これはこのままでいったときに今後の県の維持管理にまたまた問題が起こりやしないかという心配が地元の県にあるわけですね。その点を明確に、心配がなければない、そのとおりこの法律の範囲できちっとやっていけるということであれば、そのように心配のない点をおっしゃっていただきたいと思います。

○松本(操)政府委員 まず、本件下地空港が第三種空港になじむかなじまないかという御質問でございますが、第三種空港の定義は先生いまおっしゃったとおりでございます。
そこで、この空港の所在地は御案内のように伊良部村にあるわけでございまして、伊良部村の人口もおよそ九千程度であったと記憶をいたしております。したがいまして、沖繩の各先島の人口等々を考えますと、九千人ほどの人口のあるところに空港があることは、もちろん宮古がすぐそばにはございますものの、海上運航はしけの場合には非常に困難であるというふうにも聞いておりますので、これは一つの考えとして成り立つのではないか。また一方、南西航空からも、早急にということではないのかもしれませんけれども、適宜本島からの便を飛ばすことを考えたいというふうな意向があることを聞いておるわけでございます。したがって、そういう意味から考えまして、県の方での御判断でございますけれども、これを三種空港として受け入れの用意をしておきたいというふうな御趣旨であるとすれば、三種空港にすることについて私は特に問題はないのではないか、このように考えます。
ただ、訓練が主体として建設され、今後も恐らく運営されていくべき空港でございますので、そこに一般の定期便が入ってくるということの可否の問題、あるいはそれが県のこの空港の維持運営に対して足かせになるかどうかという問題でございますが、これにつきましては現在までの県とのお話し合いの中において、この空港の使用料というもの、つまり訓練に係る使用料については、別途県の方の諸般の財政上の問題がございますから、これを一定の年限の間に償却できるようにすることとか、あるいは伊良部村に対して交付金を渡すという約束もございますので、そういうふうなものを含めしめるとかいう種々の計算の上に立って訓練のための使用料というものを決めようということで、これはもう原則的な合意に達しておるわけでございます。
その後適当な時期に路線が開設されたといたしますと、これは訓練とは別の業務でございますので、この部分につきましては通常の三種空港におけると同様、着陸ごとに適時着陸料その他を徴収するという形になる、付加的な財源として入ってくるということでございまして、ただ、そのためにターミナルをどうするとかいうふうな面はございましょう。しかし、ターミナル等はほかの第三種空港について見ましても、地元資本の参加によって、必ずしもこれを全額県費をもってつくるということではないように見ておりますので、御心配のような、三種空港に仮になったといたしました場合に、それが下地の訓練空港としての本来の趣旨を足を引っ張るようなことになるというようなことはないし、また、なじみがないものを無理無理にするというふうなことにもならないというふうに私どもは考えております。

○玉城委員 そこで、改めて運輸省に確認しておきたいわけでありますが、財政的に追い詰められましてこのように公共用第三種空港に切りかえるに当たって、県の議会では附帯決議をしてあるわけです。この空港の経過からしまして非公共という意味は、やっぱり沖繩県、非常に軍事基地、戦争という体験も積んでおりますので、こういうふうに飛行場ができたけれどもこれがまた軍事的に利用されたら非常に困る、そういうことが大きな理由になりまして誘致あるいは反対という大きな議論が当時起こったわけであります。そこで、今回切りかえるに当たって県議会では附帯決議をして、設置管理者であるところの県知事もそのとおりこの空港は維持管理をすべきであるという意思表示もしているわけであります。それで、その附帯決議の項目は「下地島空港は、民間航空機のパイロット訓練及び民間航空機に使用させることとし、自衛隊等軍事目的には絶対に使用させないこと。」という附帯決議をつけて、このように切りかえたわけであります。
設置管理者もそのとおりであるということですが、そのことについて、これまでのいきさつ等これあるわけですから、こういう沖繩県側の議会あるいは設置管理者の意向というものを尊重されるのかされないのか、その点をこれはぜひ大臣からお答えをしていただきたいと思うわけです。

○森山国務大臣 航空法上は、公共用の飛行場の場合は特定の航空機についてその利用を差別することはできないということになっておりますが、空港管理者が安全性と管理上の理由によって一定の航空機の利用形態を制限することは可能である。したがって、第一義的には設置管理者である沖繩県の問題でありますが、運輸省としては設置者の意向は可能な限り尊重してまいりたい、そういうように考えております。
「自衛隊等軍事目的には絶対に使用させない」という意味でございますが、これは軍事基地的な使用を認めないという御趣旨のように先ほど来承っておりますから、異例のことでございますので――本土の方では自衛隊の航空基地を併用して使わしてもらっているというようなところもたくさんあるわけでございまして、その意味で異例の要件でございますが、先ほどのようなふうに考えてまいりたいと思いますので、玉城先生におかれましてはどうかこの異例の事態の解消ということにできるだけひとつお手伝いを願いたいと思います。

○玉城委員 せっかくの大臣のお言葉でありますが、この問題がこの飛行場では大きな問題になっておるわけです。やはり軍事的な利用は絶対困るというのがこれは大きな理由なんです。したがって、いまの県知事もそういうことで、また議会でもこういうことですから、改めてもう一回、沖繩県のそういう意思というものは尊重するということを、簡単でいいですから、大臣、ぜひおっしゃっていただきたいわけです。

○森山国務大臣 第一義的には設置管理者である沖繩県の問題ですが、運輸省としては設置者の意向を可能な限り尊重したい、こういうことでございます。

○玉城委員 そこで重ねてこの問題で、沖繩県はこの訓練飛行場建設に対して約五十四億の県費を投下し、県財政に大きな圧迫を加えてきた。訓練飛行場の設置目的からして、投下県費の回収と、今後の維持運営に当たって県費の持ち出しはしないという沖繩県側の基本方針は、この経過からして私は当然だと思うのです。したがって、七月開港に向けて沖繩県側としては五月中にも使用料等を決定しなくてはならないわけであります。運輸省としては、ユーザーである航空会社に対して使用料算定に対しどのように指導をし、こういう県側の基本的な考え方、財政負担の解消について協力的な話し合いをさせるのか、国のお考えを承りたいと思います。

○森山国務大臣 航空局長がお答えする前に、非常にむずかしい懸案ですから、ぜひこの機会に懸案解決に私どもも努力をいたしますし、また地元出身の国会議員もお二人この席においでになりますから、どうか格別の御援助をお願いいたします。

○松本(操)政府委員 先生いまおっしゃいましたように、県がこの空港を維持運営していくのに必要な経費、もちろん県が起債をした分の償還その他をも含めまして、そういうものとか、これも先ほどお答え申し上げましたが、伊良部村に対する交付金とか、こういうふうなものをずっと勘定をいたしまして、県費の持ち出しにならないという範囲で何がしの額になるか、それをどういう形で払うかというあたりについていま関係企業を指導しておるわけでございまして、基本的な点につきましてはすでに県との間で合意に達しておると私どもは理解をいたしております。今後とも航空会社の方を積極的に指導してまいりたい、こう考えております。

参考 伊江島の反戦琉球民謡「陳情口説」(上り口説(ぬぶいくどぅち)の替え歌)

陳情口説

さてぃむ ゆぬなか あさましや
(さても 世の中 あさましや)

いせに はなさば ちちみしょり
(委細に 話しますから 聞いてください)

うちな うしんか うんぬきら
(沖縄 同胞のみなさん おねがいします)


しきに とぅゆまる アメリカぬ
(世間に とどろく アメリカの)

かみぬ しとぅびとぅ わが とちゆ
(神の 人々が 私の 土地を)

とぅてぃ ぐんようち うちちかてぃ
(取って 軍用地に うち使って)


はるぬ まんまる かなあみゆ
(畑の まわりを 金網で)

まるく みぐらち うぬ すばに
(丸く めぐらし その側で)

てぃっぽう かたみてぃ ばん さびん
(鉄砲 担いで 番を している)


うやぬ ゆずりぬ はるやまや
(親の ゆずりの 畑や 山を)

いかに くがにぬ とちやしが
(いかに 黄金の 土地なのか)

うりん しらんさ アメリカや
(それを 知らない アメリカです)


まじゃぬ ぶらくぬ しとぅびとぅや
(真謝の 部落の 人々は)

うりから せいふぬ かたがたに
(それから 政府の 方々に)

うねげぬ だんだん はなちゃりば
(お願いの 談合をして 話したら)


たんでぃ しゅせきん ちちみしょり
(どうか 主席様 聞いてください)

わんた ひゃくしょが うみゆ とぅてぃ
(私たち 百姓が 御前に 出て)

うにげ さびしん むてぃぬ ほか
(お願い するのは ほかのことではございません)


うやぬ ゆずりぬ はたやまや
(親の ゆずりの 畑や山が)

あとぅてぃ いのちや ちながりさ
(あってこそ 命が つながります)

いすじ わが はる とぅい むるし
(すぐに 私たちの 畑を 取り戻してください)


にげぬ だんだん しっちゃしが
(お願い 談合を しましたが)

みみに いりらん わが しゅせき
(耳に 入れてくれない わが 主席)

らちん あかんさ くの しざま
(らちが あかない このだらしなさ)


うりから ぶらくぬ しとぅびとぅや
(それから 部落の 人々が)

じひとぅむ うちなぬ うしんかに
(是非とも 沖縄の 同胞に)

たゆてぃ うやびん ちちたばり
(頼って おります 聞いてください)


なあとぅ いとぅまん いしかあぬ
(那覇と糸満と石川の)

まちぬ しみうてぃ にげさりば
(町の 隅々で お願いしてきましたが)

わした うにげん ちちみせん
(私たちの お願いを 聞いてくださいました)

十一
なみだ ながらに ちちみそち
(涙ながらに 聞いてくださり)

まちぬ むどぅいぬ うなさちや
(町に戻っていかれる お情けは)

まくとぅ しんじち ありがてぃや
(まことに真実 有難うございます)

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