笹山登生のウォッチ&アナライズ –


2009年10月9日

国土交通省は、ダム廃止にミチゲーション手法を使うべき時

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 4:00 PM

国土交通省は、いよいよ、本体未着工のダムについて、今年度中は、これ以上、次段階での工事の進捗はせずに、いちから、費用対効果を見直すという。

なるほど、政権交代直後なのだから、これほどドラスティックな方向転換を図らないと、ダム事業はとまらないのだろう。

しかし、ただ、工事をとめればそれでいいということではないのだろう。

つまり、政府はNGOではないので、公共事業廃止のスキームをさけぶだけではだめなので、責任政権としては、出口戦略のスキームが必要になるというわけだ。

また、本体着工前のダムのみの事業凍結というのも、素人考えにありがちな直線的な考えにもとづくもののような感じもする。

すなわち、既存のダムの除去なども含めた生態系の回復という視点が、ここでは、抜け落ちているようにも見える。

ダムのオルタナティブとして、どのような環境にやさしい公共事業を起こしていくのかは、これからの国土交通省にとって、今後の大きな課題になりうるし、そのことが、これからの国土交通省の大きな社会的存在の基盤にもなりうるものと思われる。

ここにおいて、ミティゲーションの手法が、クローズアップされうる。

ミチゲーションについては、私のサイト「日本にミティゲーション・バンキングは可能か」をご参照

日本では、「環境振替」という言葉で、本来のミティゲーションの趣旨とはまったく異なる概念(というか、まったく正反対の意味)で使われている場合が多いので、此の点、要注意だ。

ミチゲーション・バンキングの手法とは、簡単に言えば、環境価値をクレジットとし、環境破壊をデビットとし、そのデポジット(預け入れ)とウィズドゥロー(引き出し)によって成り立つ、バンキング・システムといえる。

ここで、
環境価値=環境創造される空間の現在の環境価値=クレジット
であり、
環境破壊=開発許可となる空間における環境価値の損傷=デビット
となる。
この二つが クレジット=デビット となることによって、ノー・ネット・ロス原則(No-Net-Loss)が確立しうる、というものだ。

クレジットを預けいれることによって、ウィズドゥローとして、開発許可が下りる。

アメリカ・ノースカロライナ州では、ダム除去(Dam Removal)に、このミチゲーション・バンキング手法を使っている。

以下は、その概要である。

アメリカ・ノースカロライナのミチゲーション・バンキング手法によるダム除去(Dam Removal)手法

1.まず、除去するダムまでの本流の河川長と、支流の河川長を確定する。

2.つぎに、その本流と支流において、護岸度がどの程度か、河川幅がどの程度かを確定する。

3.以下の公式によって、最大可能ベースラインのクレジットが確定する。

最大可能ベースライン・ミチゲーション・クレジット(水生生物や人的要因による要素の修正前)=ダムにいたるまでの本流の河川長×係数+ダムにいたるまでの支流の河川長×係数

係数は、
護岸度が高いほど低く、護岸度が低いほど高い。
河川幅が狭いほど高く、河川幅が広いほど低い。

4.つぎに、この本流・支流における環境状況の度合いに応じて、この3の最大可能ベースライン・ミチゲーション・クレジットを修正していく。

修正の要素としては、
①水質はどうか?
②水生生物のコミュニティが確保されているか?
③希少性水生生物種や絶滅危惧水生生物種がいるか?
の三点である。

5.この三点のいくつが該当しているかによって、相当の修正係数を適用し、以下の公式によって、修正後ベースライン・ミチゲーション・クレジットを確定していく。
さらに、人的要因としての修正係数として、河川沿岸のレクリェーション的な利用度や、環境教育的な利用度などをカウントし、修正していく。

修正後ベースライン・ミチゲーション・クレジット=最大可能ベースライン・ミチゲーション・クレジット×修正係数(修正係数は、①水質はどうか?、②水生生物のコミュニティが確保されているか?、③希少性水生生物種や絶滅危惧水生生物種がいるか?、の三つのうちのいくつに該当するかによって、該当する割合が多いほど修正係数は大きくなる。)

6.このダム除去によって生まれる環境価値をクレジット(Credit)として、ミチゲーション・バンキングにデポジット(Deposit)し、対価として、環境にやさしい公共事業の開発権をデビット(Debit)として引き出す(Withdraw)というスキームである。

以上に見たように、ダム除去によって、膨大なクレジットをミチゲーション・バンキングにデポジットすることによって、このデポジットしたクレジットを基に、環境にやさしい大規模開発の開発許可権を得ることで、総体としては、ダム除去以前よりも、社会全体の環境価値のたくわえが大きくなっていく、というスキームである。

前原国土交通大臣も、いまのような、エキセントリックなダム潰しばかりに奔走されるのでなく、上記のようなミチゲーション手法を使った、総体として、日本の国土の環境資産が増大していくような、新しい公共事業のスキームを、そろそろ、それこそ、いまはやりの出口戦略として、用意すべき時期に来ているのではなかろうか?

その社会的使命として、より多くの環境インフラを創出すべき立場にある国土交通省は、不可逆的なNGO的主張のみをしてばかりいてはいけないのである。

参考 凍結対象ダム一覧

北海道
幾春別川総合開発
夕張シューパロダム■
<沙流川総合開発>
<サンルダム>-本体未着工-
留萌ダム▲

青森
津軽ダム■

岩手
胆沢ダム■

宮城
鳴瀬川総合開発※

秋田
森吉山ダム■
成瀬ダム-本体未着工-
鳥海ダム※-本体未着工-

山形
長井ダム■

茨城
霞ケ浦導水

栃木
湯西川ダム■
<思川開発>

群馬
八ッ場ダム-すでに凍結-
吾妻川上流総合開発※
利根川上流ダム群再編※

埼玉
滝沢ダム■
荒川上流ダム再開発※

富山
利賀ダム-本体未着工-

福井
足羽川ダム-本体未着工-

愛知
設楽ダム-本体未着工-

岐阜
新丸山ダム
<木曽川水系連絡導水路>
上矢作ダム※●-すでに凍結-

三重
川上ダム

滋賀
大戸川ダム-すでに凍結-
丹生ダム-本体未着工-

奈良
大滝ダム■

和歌山
紀の川大堰▲

鳥取
殿ダム■

島根
尾原ダム■
志津見ダム■

愛媛
<山鳥坂ダム>-本体未着工-

高知
中筋川総合開発

福岡
<小石原川ダム>-本体未着工-

福岡・大分
筑後川水系ダム群連携※

佐賀
嘉瀬川ダム■
城原川ダム※-本体未着工-

長崎
本明川ダム-本体未着工-

熊本
川辺川ダム-すでに凍結-
立野ダム-本体未着工-
七滝ダム※-本体未着工-

大分
大分川ダム-本体未着工-
大山ダム■

沖縄
沖縄東部河川総合開発■
沖縄北西部河川総合開発■

<>内文字は今年度凍結
※は建設着手前
▲は今年度完成予定で今後の建設段階移行はないため、実際には完成する
●は来年度中止が決定済み
■は本体工事中で今後の建設段階移行はないため、完成まで工事が進む見込み

国と水資源機構が建設中の直轄ダムは全国56、うち48ダムで現段階の工事は行うものの、次段階に進まないことになり、ダム建設が一時ストップする。
今年度は新たに用地買収や本体建設工事の契約手続に進まない。
来年度は来年度に対応する。
中止されるのはダム本体工事であって、周辺整備事業は中止にならない。
国直轄56ダムのうち、すでにダム本体があり、放流能力増大など維持管理段階にある8ダムは除く。
・48ダムは建設中だが、現段階から▽用地買収▽生活再建工事▽水の流れを切り替えるための転流工工事▽本体工事の次段階に移ることは今年度はしない。

2009年10月6日

原油決済をドルから元、円、ユーロ、金のバスケット決済にする陰謀あり、とのネタ的ニュース

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 8:51 PM

出典がIndependentのニュースなのできわめてネタくさいのだが、今日のこのニュース「The demise of the dollar」は、為替相場に一時的に与えた影響は大きかったようだ。

で、このニュースの中身なのだが、次のようなものである。

湾岸産油国が、中国・ロシア、日本、フランスの四カ国と協調して、極秘裏に次のような計画を立てているという。

すなわち、これまでの原油の決済がドル・ペッグであったのを、これからは、中国の元、日本の円、ユーロ、金、それに湾岸協力会議(GCC)関係国が計画している統一通貨、の各相場のバスケット相場で決済するというものである。

この計画に携わっているのは、サウジアラビア、アブダビ、クウェート、カタールの湾岸協力会議(GCC)のメンバーであるという。

これに関する秘密会合は、すでに、ロシア、中国、日本、ブラジルの各国の大蔵大臣、中央銀行総裁が集まって開かれたという。

アメリカは、この国際的な陰謀の中に、これまでアメリカに忠実だった日本やガルフ・アラブが入っていることにたいして、戦うとしている。

これらの陰謀が広がることについて、中国の前中東特使のSun Bigan氏は、「このことで、中国と米国との間に溝ができることを懸念する」と警告している。

また、気の早い向きは、中東の石油をめぐっての、中国とアメリカとの経済戦争が勃発するのではないか、と、予測する向きもある。

こうして、このニュースを読んでみると、かなり、いい加減なソースのようにも見えるのだが。

慶良間海域でのエコツーリズム推進法の適用には、いくつかの法的問題点がある。

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 8:49 PM

沖縄県の慶良間諸島の周辺海域のサンゴ礁を守るため、地元の渡嘉敷村と座間味村の両村は、エコツーリズム推進法の定める特定自然観光資源への立ち入り制限を利用し、周辺海域でダイバーの立ち入り人数の制限を図ろうとしている。

この慶良間では、エコツーリズム推進法制定以前に慶良間エコツーリズム推進協議会をすでに立ち上げているが、この協議会をエコツーリズム推進法の定める推進協議会とし、ここで環境保全策や規制内容を定めた「全体構想」を策定し、環境省など4省に対し、10月中に申請する方針とのことである。

そして、4省の構想の認定を得た上で、エコツーリズム推進法第八条に規定している特定自然観光資源の指定を可能とするため、サンゴ礁を特定自然観光資源に指定する内容の関連条例を両村で策定し、早ければ、両村議会12月定例会で関係条例を提案するという。

この条例の制定によって、サンゴ礁が特定自然観光資源に指定されることになり、これによって、エコツーリズム推進法第九条にもとづく特定自然観光資源に関する規制を可能にさせるという。

協議会の構想によると、各島周囲の水深30メートルより浅い範囲を「特定自然観光資源」に設定するという。

また、特定自然観光資源となるサンゴ礁への立ち入りには、関係村長の承認が必要となり、その許可の対象は、ダイビングガイドなど事業者になるという。

許可を与える上限の人数については、半減規制を目処とし、一番人数の多い8月で渡嘉敷村1万1100人、座間味村1万1500人、一番少ない2月で渡嘉敷村1800人、座間味村1200人に制限されるという。

以上が、慶良間海域におけるサンゴ礁への、エコツーリズム推進法を利用した立ち入り規制の動きの概要である。

総論としては、まことに時宜を得た動きだとは思うが、法的に見ると、いろいろな問題点も、浮かび上がっている。

海域の特定自然観光資源に地先権は、及ぶのか?

それは、今回、両村が特定自然観光資源として指定しようとしているサンゴ礁が、当然のことながら、海域の底地にあるということである。

海域における特定自然観光資源を地先の原点となる村が指定するということである。

いわば、海域にある特定自然観光資源に対し、これらの村は、地先権を有している、という考え方にたったものだ。

平成8年11月の東京高裁「静岡県沼津市大瀬崎ダイビング訴訟」においては、ダイビングスポットで、大瀬崎の内浦漁協が、ダイバーたちから、徴収する潜水料は、違法とする判決が出された。(ただし、その後、最高裁から高裁へ差し戻しとなり、2000年11月30日に東京高裁で原告の請求が棄却。)

許可の対象を、ダイビングガイドなど事業者に限定すると言う、今回の慶良間海域での立ち入り規制に対しては、将来、訴訟がおきうる可能性を、この大瀬崎ダイビング東京高裁訴訟は、しめしている。

すなわち、現在、全国レベルでは、地先の海をスクーバダイビング事業者などが使用することについて、漁協が利用料という名目で金銭を徴収することについて、トラブルが生じている例が見られるが、もし、今回、慶良間が、特定自然観光資源についても実質地先権を及ぼし、地元のエコツーリズム推進協議会がダイバー業者から利用料を徴収するというスキームを作り上げると、現在の漁協などとの間にあると同様のトラブルが生じかねないということだ。

そのほか、各島周囲の水深30メートルとなると、相当の広い範囲での指定となってしまうことについての疑問もある。

では、その海域への立ち入り規制とは、海の底地のフローラなのか、それとも、その特定自然観光資源の上の海上をもふくむのか?
サンゴ礁の上の海上へのグラス・ボートなどによる立ち入り規制も、含むのであろうか?
店を通すダイバー客と異なり、店を通さないシュノーケリング客の規制はどうするのか?
海人などの伝統漁法に基づく人々への立ち入り規制はどうなるのであろうか?
などの疑問点も、沸いてくる。

私も、この海域の島々にたびたび行っており、上記の座間味島、渡嘉敷島のほか、阿嘉島や、ちょっと離れるが、渡名喜島や粟国島などにも、足を伸ばしている。

幸か不幸か、これらの島々には、漁業者は、稀有である。

渡名喜島では、昔は、カツオ漁が盛んだったが、いつのころより漁業資源が枯渇してしまい、今は、近海魚の一本釣り程度のようである。

座間味島などには、漁業者はあまり見当たらない。

ただ、今回の慶良間の例に倣って、他の全国の市町村が、共同漁業権区域内にある特定自然観光資源を指定するようになったら、そして、その地域に漁業権をもつ漁業者が存在していたとしたら、相当な混乱を起こすことになりかねない。

エコツーリズム推進法施行規則第七条では、「立入りの承認を要しない行為」として、次のような規定がある。

(立入りの承認を要しない行為)
第七条  法第十条第二項 ただし書の主務省令で定める行為は、次に掲げるものとする。
一  農林水産業を営むために必要な行為
二  農山漁村における住民の生活水準の維持改善、森林の保続培養並びに水産資源の適切な保存及び管理を図るために行う行為

このエコツーリズム推進法施行規則第七条に基づく、行為の範囲については、この慶良間海域についても、慎重な取り決めが必要のように思える。

今回の措置について、結果、特定の自然観光資源に地先権を及ぼすことにつながっているところから、「この規制は、慶良間のダイビング業者が、那覇のダイビング業者を排除するための囲い込み措置である。」との見解を示す向きもある。

まさに、「海は誰のもの?」という永遠の課題に、この場合も、行き当たってしまうのである。

コモンズへのアクセス権は、侵害されないか?

さらに、対象海域へのコモンズとしてのアクセス権は、これによって侵害されないのであろうか?

たとえば同じ沖縄・石垣島の名蔵アンバル干潟などは、まさに、コモンズとしてのアクセスをする人でにぎわっている。

そこには、用と美をかねそなえたコモンズとしての理想的な海域利用の形が具現化されている。

エコツーリズム推進法制定の議論の過程においては、これらの民法263条規定の共有の性質を有する入会権や入浜権など、地域における慣行化した権利(「旧慣」または、「旧習」と呼ばれる権利)との調整についての対応が、すっぽり抜け落とされていた。

入浜慣行という社会事実を基盤とした入浜権は、①海浜に自由に立ち入りし、自然物を自由に使用出来る権利、②海浜に至るまでの土地を自由にアクセス・通行できる権利、からなる。

この権利は、現在の法解釈では、妨害排除請求権をもつものの、それは漁業権や付近の住民の生活権(人格権)に劣後するものであるとされている。
参考「『海を守る』とはどういうことか?」
憲法論議に環境権を明確に位置づけるために

海浜の自然公物の自由使用権や海浜までのパブリック・アクセス権を含んではいるが、私権という性格が強いとされている

これらを争点にして訴訟が起こった場合、エコツーリズム推進法にもとづく、海域の特定自然観光資源立ち入り規制は、法的に耐えられるものかどうか、環境省は、じっくり吟味しておく必要があるのではなかろうか。

なお、今年6月3日に「自然公園法及び自然環境保全法の一部を改正する法律案」が交付され、この改正によって、自然公園法に「海域の保全」が書き込まれたことになったが、エコツーリズム推進法第八条の「ただし、他の法令により適切な保護がなされている自然観光資源として主務省令で定めるものについては、この限りでない。 」との関係で、慶良間海域も国定公園のようなので、この点での海域での利用規制の整合性も、あわせて考えられたいものだ。

直接支払い的補助金は、「流動性の罠」にひっかかるのでは?

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 10:20 AM

民主党がマニフェストで打ち出した各種の直接支払い的な補助金(子供手当て、農業者戸別所得補償、高速料金無料化などなど)が、どのような経済効果をもたらすのか、については、あんまり、経済学者たちの検証がないようにみえる。

ただ、ざっと考えただけでも、歳出段階では意図した政策目的を持った直接支払い的な補助金が、マニフェストで打ち出した政策への整合性を持って、意図したインセンティブでの家計の支出に回ると考えるのは、あまりに高校生的な経済学の発想なのだろう。

ある病に効くとして飲み込んだ薬が、確実にその疾患を持った臓器に到達するとはかぎらないのだ。

おそらく、歪曲化された支出構造に、家計の段階では、なっていくのだろう。

ましてや、所得制限がないということでのモラルハザードは、血税納税者にとっては、反吐が出るほどのものとなるであろう。

高所得の家計では、子供手当てが、ペットの餌の支払い代金に消えることなんて、ザラだと考えたくらいのほうがいいのだろう。

流動性の罠(Liquidity Trap)というのは、次のようなトラップだ。

「金利を下げる→景気の見通しが悪く、通貨供給量(マネーサプライ=現金流通量+預金など)が増えない→不況やデフレがとまらない→供給した金が貯蓄や債券の購入にまわり、銀行に戻るため、通貨流通量が増えない。」

まあ、今の日本経済はますます、このトラップにはまって、身動きのできない状態にあるのだが、この罠にかかっている日本の家計経済に、これらの直接支払い的な補助金をぶっこんでも、砂漠の中に染み入る水のごとく、家計の中にしみこんでいくのだろう。

しばらくの間は、意図的にポンプアップしても、消費者需要としては顕在化せずに、消費者の先行き見通しがかなりブリッシュなものにならない限り、家計の中に沈潜した地下水として滞留しつづけるのであろう。

これらの罠から脱出できるのは、ビッグ・プッシュ的な政策の施行しかないのだ。

むしろ、今、民主党が志向すべきは、新しい公共事業のスキームなのだろう。

それは、人的なインフラ構築的な、ソフトインフラ構築のための諸策なのだろう。

現在苦境にあえぐ地方の土建業者の出自は、昭和恐慌時の救農土木を元祖とするものである。

それの平成版というのは、人材ソフト多使用型のソフトとハードの入り混じった新公共事業である。

それを、ただ、民間にまかぜるのではなく、官民一体で、そのような新インフラの基礎を立ち上げることが必要のように思えるのだが。

G20でのG4構想憶測後、きな臭くなってきた、中国元切り上げの可能性

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 10:17 AM

今回ピッツバーグで行われた20カ国・地域(G20)首脳会議(金融サミット)時に、アメリカから暗に提案があったとされるG4(米国・日本・欧州・中国)構想について、各国の首脳は、「そんなことはなかった、なかった」と一様に否定している。

また、もっともポンドの帰趨をめぐってG4構想では蚊帳の外になりかねないイギリスのAlistair Darling蔵相も、「G4提案は長い間議論されてきたことだ。考え過ぎは、しないほうがいい。」
(These proposals have been around for a long time. You shouldn’t read too much into these proposals)
と、平静を装った発言はしている。

しかし、なぜ、今回のG4サミットで、 わざわざ、声明文で「われわれは、中国がより柔軟な為替レートへ移行することについて、持続的コミットメントをすることを示したことを歓迎する。」
(We welcome China’s continued commitment to move to a more flexible exchange rate, which should lead to continued appreciation of the Renminbi in effective terms and help promote more balanced growth in China and in the world economy. )
という趣旨の一文がもりこまれたのか?不思議である。

その根底には、弱くなったドルを回復させる唯一無二の政策は、「中国人民元の切り上げにしかない。」との発想に立って、「そのためには、G20以前にG4-米国・日本・欧州・中国による合意が必要になる」との筋書きがあったのではなかろうか。

つまり、このG4構想は、G20には入っているが、G7には入っていない、中国のための、中国元切り上げを図るためのお仲間作りということだったのではなかろうか?

この場合、日本は一応は入っているが、刺身のツマ的存在に過ぎないのだろう。

そうかんぐれば、G20直前に、わざわざIMFのゼーリック氏が「もし、アメリカの財政赤字が好転しなけば、アメリカのドルは、世界の準備通貨としてのランクを失うであろう。」
(it may lose its rank as the only reserve currency if budget deficits aren’t curbed. )
などと発言した発言の意図もわかってくるのである。

また、ガイトナー氏は、G20後、次のような発言をしている。

「しかし、米国の貯蓄と投資が国内で行われれば、世界は将来の成長を米国の支出に依存できなくなる。つまり、世界経済の高い成長率を望むなら、米国以外の国が輸出に頼ることのない内需主導の成長へと構造的な変化を遂げることが必要になる。 」

つまり、もう、アメリカを各国の輸出市場として頼ってくれるのは、やめてくれ、とのメッセージのようにも聞こえてくる。

そこで、明確になりつつつあるのは、中国の元切り上げこそが、アメリカの貿易構造を変え、アメリカの双子の赤字を解消しうる唯一無二の有力手段になるという構図が浮かび上がってくる。

では、肝心の中国は、その辺をどうかんがえているのか?

このサイト「China shuns efforts to boost yuan」では、その辺を次のように見ている。

「中国が、各国からの暗黙のプレッシャーを得て、柔軟な為替政策に転じようとしている節は見られるが、それほど、乗り気であるようには見えない。

その理由の一部には、アジア共通に見られるIMFへの不信感も一因としてある。

しかし、その柔軟化への胎動らしきものは垣間見られる。

先週、中国は、八億七千九百万ドル相当分のボンドを元で発行し、香港に売却した。
そのことは、クロスポーター取引で、中国元を実質自由化する試みとも見られる。」

まあ、こうしてみると、アメリカのドルを救うのは、唯一、中国の元切り上げであり、これによって、アメリカは、双子の赤字の解消に努めることができるという筋書きのように、私には、見える。

この場合、内需振興というのは、アメリカ側の中国に対する「元切り上げ」への形をかえたメッセージなのであり、それを日本の財務大臣が、鸚鵡返しに言うべきことではないようにも、思える。

中国元切り上げへの思惑の増大は、ツレ高としての円高にもつながりうる。

つまり、中国の元切り上げの功罪論に立てば、アメリカへの輸出減と中国への加工資材輸出減とのダブルパンチをうけることになるのだから、日本の財務大臣としては、そんな、ノー天気なことは、言ってはいられないはずなのだが。

2009年10月4日

中川昭一先生を悼む

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 10:21 AM

今朝の中川昭一先生の突然のご訃報には、びっくりしました。

ちょうど一週間前に、この私のブログ記事「絶滅危惧雑誌に中川昭一先生再起待望論」で、雑誌に掲載された寺島靖国さんの再起論をご紹介申し上げ、私も、一緒に再起を願っていたのですが、わずか一週間もたたないうちに、このようなことになってしまい、言葉もないくらいです。

願わくば、私のブログ記事が、このわずか一週間の間に、中川先生のお目に留まって、いくばくかの再起への勇気を中川先生に与えることができていたなら、と、思うばかりです。

今朝の訃報が報じられてから、この私のブログ記事にも、一層のアクセスが、なお、続いています。

中川先生は、私が農林水産省政務次官をしていたとき、その後任の農林水産政務次官でした。

ちょうど、その新旧次官交代での農林水産省職員の皆様方集まっての会合で、私は、こんなことを申し上げた記憶があります。

「この農林水産省の正面玄関に掲げられている農林水産省の看板の文字は、中川先生のご尊父、中川一郎先生が書かれた文字です。
そして、今、中川昭一先生を次官に迎え、農水省設立の原点に立ち返って、がんばってまいりましょう」

その後、私が自民党をはなれたあとも、農林水産政策では、おりにふれ、いろいろ、ご指導をいただく機会が多くありました。

とくに、平成6年に、参議院の岡部三郎先生が主導されて、ドイツにあるような農村休暇法の日本版を日本にも作ろうということで、超党派の議員立法で「農山漁村余暇法」 (正式名称:農山漁村滞在型余暇活動のための基盤整備の促進に関する法律)を作る際には、農協観光との調整に苦慮しましたが、この際にも、中川先生のご厄介になったことがありました。

私は、若いときに、毎年のビート糖やサトウキビの黒糖の政策価格を決める自民党の甘味資源小委員会の委員長を何期かつとめさせていただいたおかげで、ビートの産地の北海道の先生方には大変にお世話になってきました。

中川先生も、そのお一人です。

また、私も、中川先生も、今自民党幹事長の大島さんも、平沼さんも、小泉さんも、麻生さんも、若いときは、大蔵委員会でした。

一緒に大蔵委員会の理事をしていたころの、懐かしい中川先生のお姿が目に浮かんでまいります。

残念にも、ご最後の選挙となってしまった今年8月の選挙では、たまさかの世間の毀誉褒貶にあわれてしまいましたが、「農村を愛する」という中川先生のお気持ちは、必ずや、北海道の有権者の皆様には、伝わっているとおもいます。

謹んで、ご冥福をお祈りします。

2009年10月3日

H1N1新型インフルエンザ・ワクチン接種回数は、10歳以上は1回接種にすべし

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 10:32 AM

アメリカでは、すでに、「フル・ミスト」という鼻噴霧吸入式のインフルエンザワクチンが各医療機関に到着しており、いよいよ、来週早々には、注射型のワクチンが、続いて到着する段取りになっているという。

ここで、注射の回数なのだが、9歳以下の、これまでにワクチン注射をしたことがない年代には、2回の接種、10歳以上には、1回の接種で済ませるという。

これは、季節性用ワクチンについても、新型用ワクチンについても、同様の対応だという。

また、9月21日に発表された米国立アレルギー感染症研究所の臨床試験結果においても、「健康な10~17歳では成人同様、1回の接種、9歳以下では2回の接種で免疫効果」との発表がされている。

このアメリカに比し、ワクチンの供給が遅れそうな日本だが、ここに来て、低所得者用の接種費用の地方負担をめぐって、大阪府の橋下知事が、厚生労働省が事業費900億円の半額負担を地方に求めていることについて、「一方的に地方に負担を要求するのは、これまでの国と地方の構造と変わらない。地域主権を掲げる民主党のうそつき第1号だ」と批判しているようだ。

低所得者向け接種費用軽減策事業費の2分の1を国、4分の1ずつを都道府県と市町村が支出し、地方負担分は地方交付税で補填するという国の方針に対して、全国知事会などが、国が全額措置するよう求めていることを受けての橋下知事さんのご発言のようである。

厚生労働省は9月18日、専門家との意見交換会を開き、新型インフルエンザのワクチンの接種回数が1回で済むかどうか検討する方針を明らかにしたというが、これらの地方負担をめぐるいざこざで、接種が遅れるようなことがあってはならないのだから、厚生労働省は、アメリカ並みの10歳以上1回接種の方向で、急速に対応を決められたらいかがなのだろうか。

年内に用意できる国内産ワクチンは2回接種分として最大約1700万人分というのだから、これを「10歳以上は1回接種」との方向で行けば、年内接種の対象人員もほぼ倍増できるし、地方の負担軽減にも資することになるのだと思うのだが。

私は、それ以前に、どうも、今の状況だと、H1N1自体が、当初予想されていた第二波を形成することなく、季節性インフルエンザの世代交代となって、終わってしまうのではないかと、想像している。

となると、接種二回にこだわっていると、接種のタイミングも逃すことになり、結果、膨大な新型ワクチン在庫を残すことになってしまうのではないかと、懸念しているのだが。

とにかく、民主党政権になって、官僚の皆様の萎縮のせいか、いっちゃ悪いが、政策実施のスピードが極度に落ちているのが気になるところだ。

最後に、ちょっと気になるニュースが入っている。

カナダのブリティッシュコロンビアからのニュースなのだが

「65歳以上のかたに、季節性用のワクチンを接種すると、かえって、H1N1インフルエンザにかかりやすくなるので、季節性用インフルエンザ・ワクチンの接種は、2010年になるまで、待ったほうがいい。」との研究成果がthe B.C. Centre for Disease Controlから発表されたとのことだ。

これは、先に私のブログ記事「新型インフルエンザ・ワクチン投与で、抗原原罪を懸念する声が専門家の間にある。」で書いた抗原原罪の問題が絡んでいるようだ。

これらの研究を受けて、カナダのブリティッシュ・コロンビアでは、季節性インフルエンザ用ワクチンの接種を、65歳以上については、2010年まで延期するようにしたという。

このブリティッシュコロンビアの方向には、Alberta, Saskatchewan, Ontario, Quebec 、Nova Scotia の他の州も追随する方針だという。

参考「Study: Seasonal Flu Vaccine Can Hike Risk of Contracting H1N1 Virus
「The Truth about the Flu Shot
Seasonal flu shot limited to seniors

2009年10月2日

広島地裁鞆の浦景観訴訟判決のポイント

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 10:35 AM

昨日の鞆の浦景観訴訟広島地裁判決には、環境権にかかわる、いくつかの点で、画期的な判断がされているように思えます。

以下に、私なりの評価すべきポイントと、鞆の浦景観訴訟の判決要旨を掲げておきます。
.

判決についての評価すべきポイント

①「鞆の浦の景観は、美しいだけでなく、歴史的、文化的価値を有し、近接する地域内に住み、その恵沢を日常的に享受する住民の景観利益は法律保護に値する。
公有水面埋立法は、景観利益を保護に値する個別利益として含むと解釈される。
住民は景観による恵沢を日常的に享受しており、法律上の利益を有する。」

これはかなり踏み込んだ見解ですね。

公有水面埋立法の4条3項-2の「其ノ埋立ニ因リテ生スル利益ノ程度カ損害ノ程度ヲ著シク超過スルトキ 」における利益の比較衡量において、景観利益の損傷をマイナスでカウントするという解釈のように見えます。

また、環境権の利益の比較衡量において、反射的利益にとどまらない、景観利益を比較衡量にカウントしたという点も、画期的です。

以下の判決の部分もポイントですね。

「公有水面埋立法及びその関連法規は、法的保護に値する、鞆の景観を享受する利益をも個別的利益として保護する趣旨を含むものと解するのが相当である。したがって、原告らのうち上記景観利益を有すると認められる者は、埋め立て免許の差し止めを求めるについて、行訴法所定の法律上の利益を有するものであるといえる。」

「公有水面埋立法は、景観利益をも、個別的利益として保護する」趣旨に立っているという解釈ですね。

では、景観利益を享受しうるのはだれか?というところまでおし進めていくと、非居住者の景観権も、認知されうる判断となり、さらには、原告適格判断のゾーン(使用価値を持たない非居住者の原告適格性如何)も広がりうる解釈となりえます。

ただ、このように環境権の外延としての権利を拡大しすぎていくと、かえって、環境権の概念をあいまいにしてしまうという二律背反性が生まれ得ます。

環境権の外延性拡大は、一方で、国民の他の分野における基本権との衝突をも招く結果となりうるのです。

②「景観の価値は私法上保護されるべき利益であるだけでなく、瀬戸内海における美的景観を成すもので、文化的、歴史的価値を有する景観としていわば国民の財産ともいうべき公益だ。」

この解釈も画期的ですね。

判決のここの部分「景観の恵沢を享受する利益(景観利益)は、私法上の法律関係において、法律上保護に値すると解せられる。」が特にポイントです。

川や海の公有水面の利用権である「地先権」には、私法上保護されるべき利益として「景観の恵沢を享受する利益(景観利益)」をも含む、という解釈のように見えます。

コモンズとしての権利が認められることにつながりうる解釈とも見えます。

これまでは、私権としての環境権をもって、民事訴訟に持ち込んだ場合、公権力の公共益と、原告個人の私的利益との利益の比較衡量によって、原告が、その環境被害にたえうる受忍限度を超えなければ、裁判所による差止め請求権・損害賠償請求権の認容は、なりませんでした。

今回の判決で見る限り、単なる「公権力での公共益 対 反射的利益としての私的利益との対立」ではなく、「公権力での公共益 対 「私法上保護されるべき利益の一部としての景観利益」との対立」という関係での利益の比較衡量が可能になりうる、夜明けの判決ともいえます。

また、環境権が公共信託にまで、およんでいることを認めた画期的な判決とも言えそうです。

これらについては、こちらの私のサイト記事「憲法論議に環境権を明確に位置づけるために」も参考にしてみてください。

以下は鞆の浦景観訴訟の判決要旨です。

◆主文

広島県知事は、公有水面の埋め立てを免許する処分をしてはならない。

◆裁判所の判断

景観は、良好な風景として人々の歴史的または文化的環境を形作り、それが豊かな生活環境を構成する場合には、客観的価値を有するものというべきである。客観的価値を有する良好な景観に近接する地域内に居住し、その恵沢を日常的に享受している者は、景観が有する客観的な価値の侵害に対して密接な利害関係を有するものというべきであり、景観の恵沢を享受する利益(景観利益)は、私法上の法律関係において、法律上保護に値すると解せられる。

さらに進んで、上記のような利益を有する者が、行政訴訟法の法律上の利益をも有する者といえるか否かについて検討する。

公有水面埋立法及びその関連法規は、法的保護に値する、鞆の景観を享受する利益をも個別的利益として保護する趣旨を含むものと解するのが相当である。したがって、原告らのうち上記景観利益を有すると認められる者は、埋め立て免許の差し止めを求めるについて、行訴法所定の法律上の利益を有するものであるといえる。

鞆の景観の価値は、私法上保護されるべき利益であるだけでなく、瀬戸内海における美的景観を構成するものとして、また、文化的、歴史的価値を有する景観として、いわば国民の財産ともいうべき公益である。しかも、本件事業が完成した後にこれを復元することはまず不可能となる性質のものである。これらの点にかんがみれば、本件事業が鞆の景観に及ぼす影響は、決して軽視できない重大なものであり、瀬戸内海環境保全特別措置法(瀬戸内法)等が公益として保護しようとしている景観を侵害するものといえるから、これについての政策判断は慎重になされるべきであり、そのよりどころとした調査及び検討が不十分なものであったり、その判断内容が不合理なものである場合には、埋め立て免許は、合理性を欠くものとして、行訴法にいう裁量権の範囲を超えた場合に当たるというべきである。

(1)道路整備効果

調査は不十分なものといわざるを得ない。県知事がコンサルタントの推計結果のみに依拠して埋め立て架橋案の道路整備効果を判断することは、合理性を欠く。

(2)駐車場の整備

駐車場確保を目的として本件埋め立てをしようとするのは、鞆の景観の価値をあまりに過小評価し、これを保全しようとする行政課題を軽視したものというべきである。

(3)小型船だまりの整備

今あるスペースを最大限有効活用するための方策を検討し、それでも、なお用地が不足するかどうかということについて検討するべきであると考えられるが、このような作業はなされていない。

(4)フェリーふ頭

行政当局としては、まず、湾の埋め立てによらないで、フェリーふ頭を整備する方策について調査、検討すべきであるといえるが、このような調査、検討したことをうかがわせる証拠はない。

(5)防災整備

計画道路が災害時の交通ルートとして活用される場合があるとはいえるものの、既にある避難地や交通路と比較して、格段に避難等の効果が増すとはいえない。

(6)下水道整備

埋め立てによる副次的効果と主張しているのであり、埋め立ての必要性の直接の根拠としているものでもない。

県知事が本件埋め立て免許を行うことは、原告らのその余の主張について判断するまでもなく、行訴法所定の裁量権の範囲を超えた場合に当たるというべきである。よって、行訴法所定の法律上の利益を有していると認められない原告19人の各訴えをいずれも却下し、その余の原告らの請求は、理由があるから、これらを認容することとし、主文のとおり判決する。

鞆の浦景観訴訟広島地裁判決のポイント

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 10:34 AM

昨日の鞆の浦景観訴訟広島地裁判決には、環境権にかかわる、いくつかの点で、画期的な判断がされているように思えます。

以下に、私なりの評価すべきポイントと、鞆の浦景観訴訟の判決要旨を掲げておきます。
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判決についての評価すべきポイント

①「鞆の浦の景観は、美しいだけでなく、歴史的、文化的価値を有し、近接する地域内に住み、その恵沢を日常的に享受する住民の景観利益は法律保護に値する。
公有水面埋立法は、景観利益を保護に値する個別利益として含むと解釈される。
住民は景観による恵沢を日常的に享受しており、法律上の利益を有する。」

これはかなり踏み込んだ見解ですね。

公有水面埋立法の4条3項-2の「其ノ埋立ニ因リテ生スル利益ノ程度カ損害ノ程度ヲ著シク超過スルトキ 」における利益の比較衡量において、景観利益の損傷をマイナスでカウントするという解釈のように見えます。

また、環境権の利益の比較衡量において、反射的利益にとどまらない、景観利益を比較衡量にカウントしたという点も、画期的です。

以下の判決の部分もポイントですね。

「公有水面埋立法及びその関連法規は、法的保護に値する、鞆の景観を享受する利益をも個別的利益として保護する趣旨を含むものと解するのが相当である。したがって、原告らのうち上記景観利益を有すると認められる者は、埋め立て免許の差し止めを求めるについて、行訴法所定の法律上の利益を有するものであるといえる。」

「公有水面埋立法は、景観利益をも、個別的利益として保護する」趣旨に立っているという解釈ですね。

では、景観利益を享受しうるのはだれか?というところまでおし進めていくと、非居住者の景観権も、認知されうる判断となり、さらには、原告適格判断のゾーン(使用価値を持たない非居住者の原告適格性如何)も広がりうる解釈となりえます。

ただ、このように環境権の外延としての権利を拡大しすぎていくと、かえって、環境権の概念をあいまいにしてしまうという二律背反性が生まれ得ます。

環境権の外延性拡大は、一方で、国民の他の分野における基本権との衝突をも招く結果となりうるのです。

②「景観の価値は私法上保護されるべき利益であるだけでなく、瀬戸内海における美的景観を成すもので、文化的、歴史的価値を有する景観としていわば国民の財産ともいうべき公益だ。」

この解釈も画期的ですね。

判決のここの部分「景観の恵沢を享受する利益(景観利益)は、私法上の法律関係において、法律上保護に値すると解せられる。」が特にポイントです。

川や海の公有水面の利用権である「地先権」には、私法上保護されるべき利益として「景観の恵沢を享受する利益(景観利益)」をも含む、という解釈のように見えます。

コモンズとしての権利が認められることにつながりうる解釈とも見えます。

これまでは、私権としての環境権をもって、民事訴訟に持ち込んだ場合、公権力の公共益と、原告個人の私的利益との利益の比較衡量によって、原告が、その環境被害にたえうる受忍限度を超えなければ、裁判所による差止め請求権・損害賠償請求権の認容は、なりませんでした。

今回の判決で見る限り、単なる「公権力での公共益 対 反射的利益としての私的利益との対立」ではなく、「公権力での公共益 対 「私法上保護されるべき利益の一部としての景観利益」との対立」という関係での利益の比較衡量が可能になりうる、夜明けの判決ともいえます。

また、環境権が公共信託にまで、およんでいることを認めた画期的な判決とも言えそうです。

これらについては、こちらの私のサイト記事「憲法論議に環境権を明確に位置づけるために」も参考にしてみてください。

以下は鞆の浦景観訴訟の判決要旨です。

◆主文

広島県知事は、公有水面の埋め立てを免許する処分をしてはならない。

◆裁判所の判断

景観は、良好な風景として人々の歴史的または文化的環境を形作り、それが豊かな生活環境を構成する場合には、客観的価値を有するものというべきである。客観的価値を有する良好な景観に近接する地域内に居住し、その恵沢を日常的に享受している者は、景観が有する客観的な価値の侵害に対して密接な利害関係を有するものというべきであり、景観の恵沢を享受する利益(景観利益)は、私法上の法律関係において、法律上保護に値すると解せられる。

さらに進んで、上記のような利益を有する者が、行政訴訟法の法律上の利益をも有する者といえるか否かについて検討する。

公有水面埋立法及びその関連法規は、法的保護に値する、鞆の景観を享受する利益をも個別的利益として保護する趣旨を含むものと解するのが相当である。したがって、原告らのうち上記景観利益を有すると認められる者は、埋め立て免許の差し止めを求めるについて、行訴法所定の法律上の利益を有するものであるといえる。

鞆の景観の価値は、私法上保護されるべき利益であるだけでなく、瀬戸内海における美的景観を構成するものとして、また、文化的、歴史的価値を有する景観として、いわば国民の財産ともいうべき公益である。しかも、本件事業が完成した後にこれを復元することはまず不可能となる性質のものである。これらの点にかんがみれば、本件事業が鞆の景観に及ぼす影響は、決して軽視できない重大なものであり、瀬戸内海環境保全特別措置法(瀬戸内法)等が公益として保護しようとしている景観を侵害するものといえるから、これについての政策判断は慎重になされるべきであり、そのよりどころとした調査及び検討が不十分なものであったり、その判断内容が不合理なものである場合には、埋め立て免許は、合理性を欠くものとして、行訴法にいう裁量権の範囲を超えた場合に当たるというべきである。

(1)道路整備効果

調査は不十分なものといわざるを得ない。県知事がコンサルタントの推計結果のみに依拠して埋め立て架橋案の道路整備効果を判断することは、合理性を欠く。

(2)駐車場の整備

駐車場確保を目的として本件埋め立てをしようとするのは、鞆の景観の価値をあまりに過小評価し、これを保全しようとする行政課題を軽視したものというべきである。

(3)小型船だまりの整備

今あるスペースを最大限有効活用するための方策を検討し、それでも、なお用地が不足するかどうかということについて検討するべきであると考えられるが、このような作業はなされていない。

(4)フェリーふ頭

行政当局としては、まず、湾の埋め立てによらないで、フェリーふ頭を整備する方策について調査、検討すべきであるといえるが、このような調査、検討したことをうかがわせる証拠はない。

(5)防災整備

計画道路が災害時の交通ルートとして活用される場合があるとはいえるものの、既にある避難地や交通路と比較して、格段に避難等の効果が増すとはいえない。

(6)下水道整備

埋め立てによる副次的効果と主張しているのであり、埋め立ての必要性の直接の根拠としているものでもない。

県知事が本件埋め立て免許を行うことは、原告らのその余の主張について判断するまでもなく、行訴法所定の裁量権の範囲を超えた場合に当たるというべきである。よって、行訴法所定の法律上の利益を有していると認められない原告19人の各訴えをいずれも却下し、その余の原告らの請求は、理由があるから、これらを認容することとし、主文のとおり判決する。

2009年10月1日

井金融相のモラトリアム構想の意図の根底は尊重すべき

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 10:40 AM

亀井金融担当大臣のモラトリアム(ローン返済猶予)構想が波紋を呼んでいるが、金に困っていなさそうなテレビ・コメンテーターのもっともらしい薀蓄には、ちょっと、辟易するものさえ感じてしまう。

私は、モラトリアム・スキームの詳細の検討についてはしっかりやっていただきたいが、やはり、亀井金融担当大臣が今回の提案をするにいたった意図の根底には尊重すべきものがあると思う。

それは、竹中金融担当大臣の時に、決済機能の回復のみを旗印にして、金融機関をBIS規制遵守で萎縮させた結果、末端借入者に何が起こったのか、ということについての時代検証の必要性でもある。

マクロ経済において、地価が下がり、担保割れがおきれば、担保対象不動産を処分しても、残債が残る。

金融機関にとっても、多少の返済猶予の貸し出し条件変更に応じたほうが、結果回収できる実入りは多かったはずである。

しかし、BIS基準に基づく金融庁の検査強化に恐れて、金融機関は、表面上の不良債権をいかに少なくするかに没頭し、貸し剥がしによって、まだ生きるかもしれない借り手をどうしようもない状態にしていったのである。

親鶏を早々と殺しておいて、卵で返せ、と、迫るのとおんなじ、無茶な論理である。

つまり、銀行は、自己資本比率維持のため、その「分母」となる総資産の圧縮を、不良債権の売却、貸し渋り、貸し剥がしによって、圧縮させていったのである。

地価が下がり、デフレが進行すれば、既往貸出の無担保比率は、当然向上する。

しかし、その無担保比率の向上自体が、銀行に必要とされる自己資本の増大を招いていく。

追加担保徴求が不可能であれば、銀行としては、分母を切っていくしかなくなってしまう。

公的資金注入には、名乗りを上げる勇気が当時の金融機関になかったことが、これらの末端借入者へのしわ寄せを一層よんだと見ていいだろう。

つまり、マクロでの地価下落分が、玉突き衝突的に、末端の借り手の残債となって、残ったという構図である。

今回の亀井提案は、あまりにダイレクトすぎる提案であるとはしても、もっと、いろいろなポリシーミックスをすることによって、今、モラトリアム提案に提示されているいろいろな懸念は払拭できるものと思われる。

たとえば、今回のアメリカの金融危機で、なるほどなと思ったのは、アメリカは、金融機関の必要であるないにかかわらず、当初の段階で、公的資金注入を全金融機関ほとんどに強制的に割り当てたことである。

このことで、公的資金を受ければ信用収縮の風評被害が出るという、金融機関の懸念が払拭されたのである。

それと、必要と思われるのは、残債を損きり・免責することで、金融機関がメリットを受けられるような、インセンティブを、マクロ的に政策のなかに盛り込むことである。

現在、金融機関は、回収不能債権を系列のサービサーに投げることによって、損きりが確定し、整理損や貸付金の否認分を繰り延べ税金資産にカウントすることで、未収還付事業税を納入し、負債整理の決着が付くことによって、税効果会計による高率の還付加算金つきで返ってくるというメリットが得られる。

金融機関のサービサーへの債権譲渡の際の卸値は、ものによっては、10分の一以下、平均、5%程度といったもののようである。

しかし、その売却債権の仕入れ値は、一切、金融消費者たる債務者には、明らかにされていない。

債権譲渡された債権者からは、そ知らぬ顔で金融消費者たる債務者への請求が来る。

まるで、中古のジャンク同様のテレビをそ知らぬ顔で、新品の値段で売ってくるようなものだ。

ここにおいても、債務者は、デフレの最後のつじつまあわせとなってしまっている。

債務者は、金融消費者であるという視点が、ここでは、すっぽりぬけ落ちているのである。

弱い金融消費者に対するデフレのドミノ的転嫁は、ここでもおこっている。。

そこで、今回の亀井提案を、より、精緻な形で政策に生かすとすれば、マクロ的に言えば、金融消費者としての債務者のセーフティーネットをどのようにきづきあげていくのか、ということになる。

ちょっと考えただけでも、金融機関が損きりをしやすい税制面での環境作り、金融庁の金融機関検査基準の緩和、金融機関の金融消費者としての借り手に対する、サービサーの仕入れ値の公表の義務付け、譲渡債権の仕入原価公開主義に基づいた債権請求の遵守、などなどが必要になってくるものと思われる。

ブラックスワンの著者で有名なナッシム・タレブ氏は、次のようなことを言っている。

「これまで目を隠してスクールバスを運転してきたもの(金融資本の運営者)へ、再度、スクールバスの運転を許してはならない。」

「壊れてしまった卵でオムレツを作るように、これまでの資本主義のスキームの立て直しを図るのではなく、資本主義バージョン2.0としての新しいスキームの元で、金融資本主義の立て直しを図らなければならない。」